書評

『呪文』(河出書房新社)

  • 2020/04/30
呪文 / 星野智幸
呪文
  • 著者:星野智幸
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(256ページ)
  • 発売日:2018-09-05
  • ISBN-10:4309416322
  • ISBN-13:978-4309416328
内容紹介:
寂れゆく商店街に現れた若きリーダー図領。彼の魅力的な言葉と実行力に街は熱狂、「希望にあふれる未来」を誰もが歓迎したのだが…。

乗り越えられぬ前近代的けじめの呪縛

日本は先進国の中でも韓国に次いで自殺率が高いという。歯止めとなる宗教が無いこと、社会格差の広がりなど原因は幾つも思い当たるが、それだけでは説明がつかない。『呪文』は日本社会の容赦ない縮図として、さびれゆく小さな商店街と狂った独裁者を描くことで、共同体精神の未熟さと自殺の構造を辛辣に解き明かしているのではないか。

本作に特徴的なのは、「意識高い系」の人々である。目的意識、美意識などは高く、勇ましく、それをアピールすることにも熱心だが、実際の合理的な計画性や、スキルや、行動が伴わない人たちのことだ。『呪文』は、意識高い系がはまりこむ逆説的な罠(わな)を描いた町おこしディストピア小説とも言えるだろう。

共同体の相互監視という意味では、昔の「むら」は徹底していたが、ここに現代のネット空間のブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やスマートフォンなどのツールが絡むと、社会構造は「むら」のまま一気に高速化、情報化し、サイバー武装した室町時代みたいになってしまうことがわかる。中世には口伝えでゆっくり広まっていた噂(うわさ)は、いまでは秒速で「拡散」され、グループが組織され、瞬く間に世間の制裁が始まる。ちなみに、日本の中世社会の中央管理とローカル法については、現ソマリランドと日本の室町時代を重ねあわせる対談集『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(高野秀行、清水克行著、集英社インターナショナル)が興味深く要注目だ。

『呪文』の舞台となるのは、世代交代がうまくいかず、昔ながらの商店が次々と閉業している「松保(まつほ)商店街」。家賃の安さから、新しくお洒落(しゃれ)な雑貨店や自然食品の店などが出来ては、一年ももたずにつぶれていく。この町に、霧生(きりゅう)という若者がメキシコ仕込みのサンドイッチ「トルタ」の店「イーホ・デ・プミータ」を開く。霧生は本場の味にこだわって商売に励むが、いかんせんトルタは地元に浸透せず、資金がいつ尽きるか危うい毎日だ。

もう一人の重要人物は、地元の人気店となった創作料理の居酒屋「麦ばたけ」の店主・図領(ずりょう)。彼も商店街への新規参入組だが、老舗の「匠(たくみ)酒店」の娘と結婚し、町内会の事務局長に納まっている次世代の実力者である。松保の外部から人材を募って、跡継ぎのない自転車屋と美容院を今風の店として再生させた功績もある。

この「麦ばたけ」に客として来た極悪クレーマーの佐熊(さくま)、別名「ディスラー総統」が「とろ~りロールキャベツと胡椒(こしょう)のきいたポテトサラダ」や「お月さまのようなオムライス」などの料理が軒並み品切れであることに怒り、図領と互いのブログではげしく戦うが、惨敗を喫する。ネットワーク力の高い図領は、「縁側のような居場所のある町」を提言し、「ぶっちゃけ松保商店街」なる討論会を踏み台として、カリスマの座に登りつめていくのだった――。

抑制の利いた筆致ながら、作者一流の批評精神が固有名詞の隅々にまで炸裂(さくれつ)する。「呪縛」というタイトルもあり得たぐらい、自己表現せよ、自分が真にやりたいことを追求せよという強迫観念に憑(つ)かれた人々が多く、特に新参者らはそうした「自由の檻(おり)」「ポジティブ・シンキングの枷(かせ)」に縛られている。そこへもってきて、商店街には「増水した川の奔流のようなその強力な語りは、耳から入れば脳の中を組み替えずにはおかない」と思わせる語りのカリスマが何人かおり、影響されやすい人々をからめとっていくのだ。そうして松保には洗脳力の強い自警団「未来系」が形成される。とぐろを巻いた蛇と、吼(ほ)える豹(ひょう)の頭を合体させたおどろおどろしい“ゆるキャラ”をシンボルに、自警団はより狂信的なカルト集団になっていく。

「クズは死ね」という究極のネガティブ思考さえもポジティブに転換し、そこに日本特有の武士的な切腹倫理を結びつけて、「クズ道というは死ぬことと見つけたり」と“呪文”を唱えては、人を割腹自殺に向かわせる。人々はその美学に陶酔する。

こうした過程こそが、前向き思考の逆説的罠なのだが、日本人はこの「自殺=ポジティブなけじめ」という前近代的な呪縛を乗り越えられずにいるのではないか。本作にはそうした疑義が呈されているようにも思う。

うつろで空恐ろしいのは、リーダーの図領が商店街の活性化以上の何を本当は目指しているのか、最後までよくわからないところだ。三人称で視点を交代させながら書かれた作品全体にも、内面描写があまりなく、読者を不敵に拒むところがある。また、「彼」「彼女」という代名詞を一切出さず、所有格でも目的格でも常に「霧生の胸の内」「霧生を」と固有名詞を使用して、あえて奇妙なぎごちなさをテクスト上に記しているのも印象的だ。この解消されない違和感が、この小説の世界観の一翼を担っているのだろう。

今年読んだ国内の小説の中でも、まちがいなくベストの一冊だ。
呪文 / 星野智幸
呪文
  • 著者:星野智幸
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(256ページ)
  • 発売日:2018-09-05
  • ISBN-10:4309416322
  • ISBN-13:978-4309416328
内容紹介:
寂れゆく商店街に現れた若きリーダー図領。彼の魅力的な言葉と実行力に街は熱狂、「希望にあふれる未来」を誰もが歓迎したのだが…。

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毎日新聞 2015年9月13日

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