以下に、そんな本文の一部を抜粋して紹介する。
人類の進歩は忘れていいほど“ダサく”はない
どれほど努力して得た進歩でも、人々がそれを認識しなくなると、いつのまにか当たり前のものになってしまう。そして、整った秩序や広範囲に行きわたった繁栄があまりにも当たり前になると、わたしたちは当たり前を奪うすべての問題に腹を立てるようになり、誰かのせいにして責め立てたり、制度を破壊したり、「この国の本来の偉大さを取り戻す」という指導者に権限を与えたくなったりする。わたしは本書でわたしなりに、進歩とそれを可能にした理念を擁護してきた。またジャーナリストや知識人、その他の思慮深い人々(本書の読者も含めて)に向けて、啓蒙主義の成果を無視する今の風潮にどうしたら手を貸さずにすむかについて、できるかぎりの示唆をしたつもりだ。数学を忘れないでほしい──逸話が世界の趨勢を表しているとはかぎらない。歴史を忘れないでほしい──今何かがうまくいかないからといって、昔はもっとうまくいっていたとはかぎらない。哲学を忘れないでほしい──理性などないと論証することはできないし、神がそういったからという理由で、何かが真である、善であるということはできない。心理学を忘れないでほしい──知っていると思っていることが、すべて正しいとはかぎらない。誰もが知っているつもりになっていることなら、なおさらである。
事実を正しくとらえよう。すべての問題が「危機的状況、大災厄、異常発生、存亡の危機」というわけではない。すべての変化が「何々の終焉、何々の死、ポスト何とか時代の夜明け」というわけではない。悲観主義と洞察の深さを混同してはならない──問題は決してなくならないが、解決は可能である。一つ失敗するたびに社会が病んでいると診断するのは、冷静さを欠く大仰な振る舞いだ。そして、ニーチェを切り捨てること。彼の思想は先鋭的で、本物で、“イケてる”ように思え、一方ヒューマニズムは間が抜けて、時代遅れで、“ダサい”ように思えるかもしれない。しかし、平和と、愛と、理解の、いったいどこが滑稽だというのだろうか。
打ち寄せる不条理の波を退ける人類の力
今この時代に啓蒙主義を擁護することは、誤りを指摘する、あるいはデータを広めるだけにとどまるものではない。それは人々を鼓舞することでもありうるので、わたしよりも芸術的才能や表現力のある人々が、もっとうまく語ってくれたら、そしてもっと多くの人に広めてくれたらと願っている。人類の進歩こそが真に英雄的な物語なのだから。この物語は壮大で、希望にあふれている。あえていうなら、スピリチュアルでさえある。その物語とは、つまり次のようなことだ。
わたしたちは無情な宇宙に生まれ、生存可能な秩序を維持できる確率が低すぎるという事実により、常に崩壊の危険にさらされている。わたしたちは容赦ない競争のなかで形作られてきた。そして、わたしたちは「曲がった木」でできていて〔カントの言葉〕、幻想を抱きがちで、利己主義に走りがちで、時にあきれるほど愚かだ。
それでも人間の本性には、不利な条件のなかで道を切り開く能力が備わっている。わたしたちは思考をフィードバックさせて組み合わせることができ、自分の考えについて自分で考えることができる。わたしたちには言語を習得する本能があり、経験や発想を他者と共有することができる。わたしたちは共感力──他者を哀れみ、想像し、思いやり、同情する力──を備えていて、そのおかげで心に深みをもつ。
こうした資質のおかげで、わたしたちはこれらの資質そのものをさらに強化することもできた。たとえば、言語が及ぶ範囲は、文字、印刷、デジタル化によって広がってきた。共感の輪は、歴史、ジャーナリズム、物語芸術によって広がってきた。そして貧弱な理性能力も、理性が生み出した規範や制度によって──知的好奇心、開かれた議論、権威やドグマに対する懐疑的姿勢、考えを現実と突き合わせて確認する立証責任などによって──高められてきた。
わたしたちは常に、わたしたちを打ち砕こうとする力──なかでもわたしたち自身の本性の闇の部分──との戦いを強いられているが、改善のフィードバックに弾みをつけることによってどうにか勝ちを収めてきた。わたしたちはこの宇宙の数々の謎に分け入り、生命や心についても理解を深めつつある。わたしたちの寿命は延び、苦しみは軽減され、より多くを学ぶようになり、より賢くなり、そしてより多くの小さな喜びや豊かな経験を楽しむようになっている。他の人間に命を奪われ、襲われ、奴隷にされ、抑圧され、搾取される人は以前より少なくなった。わずかなオアシスから始まった平和と繁栄の地は、拡大し、地球の各地へと広がり、いつの日か地球全体を覆うことも考えられるほどになっている。無論、まだ多くの苦しみが残っているし、大きな危機もある。だがそれらについても対応策の一部はすでに考え出されているし、これからも次々と、無数の考えが生み出されることだろう。
生きることへの信念は必ず未来を切り拓く
わたしたちが完璧な世界を手に入れることは決してないし、そんなものを求めるのは危険だと考えるべきだ。だが、わたしたちが人類の繁栄のために知識を使うことをやめないかぎり、人類の向上に限界はない。
この英雄的な物語は、新たな神話ではない。神話はフィクションだが、これは真実の物語である。真実というのは、最善の知識という意味であり、それはわたしたちが手にできる唯一の真実でもある。そしてそれを信じるのは、わたしたちにそれを信じる「理性」があるからだ。これからさらに学ぶにつれて、わたしたちはこの物語のどこが真実でありつづけ、どこが誤りとして正されるべきかも示せるようになる。今の時点ではこの物語のどの部分も、前者あるいは後者になる可能性がある。
またこの物語は特定の部族のものではなく、人類全体の物語である。理性の力と、生きようとする衝動を備えた、すべての「感覚をもつ存在」のための物語である。なぜならこの物語に必要なのは、死より生が、病気より健康が、欠乏より潤沢が、抑圧より自由が、苦しみより幸福が、そして迷信や無知より知がいいという信念だけなのだから。
[書き手]スティーブン・ピンカー Steven Pinker
ハーバード大学心理学教授。認知科学者、実験心理学者として視覚認知、心理言語学、人間関係について研究している。進化心理学の第一人者。