書評
『暴力の人類史 上』(青土社)
本性の「天使」を信じられるのか
経済活動や衣食住、セックス、芸術など様々な切り口から人類史を振り返る論考は少なくないが、本書は暴力に焦点を絞り、旧約聖書の昔からモンゴル帝国の世界征服、中世の暗黒時代、そして、二十世紀の大戦に至る殺戮の歴史を振り返り、我々は意外にも人類史七千年の中で最も平和な時代に暮らしていると述べている。原題は「我らの本性のよりよき天使」とあるように、人間には暴力を誘発する五種類の「内なる悪魔」と暴力を抑制する四種類の「善なる天使」があり、かろうじて天使が悪魔を打ち負かすことで平和を獲得してきたというのである。人類の蛮行の百科全書としてのページ数と資料的充実には圧倒される。心理学、歴史学、人類学、社会学、脳科学などあらゆる領域から集められた統計は人類がいかに殺戮マニアであったかを静かに示す。また女性や子どもに対する扱い、戦争の技術的変遷など、切り口も多彩で、ハリウッド映画百本分のネタが満載といった感じである。
天使と悪魔の戦いは、人権思想が浸透し、独裁者の暴政が覆され、リヴァイアサンたる国家の暴走を国際連合が牽制する現代においても、終わらない。私たちが永遠平和の境地に到達できるとすれば、それはあの世に行った後だろう。なぜなら、どちらかが全滅してしまうような「最終戦争」も、その後にもたらされる「歴史の終焉」もヘーゲル的妄想に過ぎず、実際には歴史は反復されているし、「人類のはしか」(アインシュタイン)であるナショナリズムも各国で幅を利かせ、ヘイトスピーチや人種偏見、テロリズムとも日常的に向き合っているからだ。ただ、そうした好戦的な連中が目立つのは、逆に彼らの行動に呆(あき)れる良識派が確実に増えたからだともいえる。
私たちはおのが本能に抱え込んだ死の欲動により、いつの時代にあっても先祖返りし、大虐殺や無謀な戦争、隣人への暴力に加担してしまうが、自己抑制や権利獲得の営為を積み重ねることによって、確実にそのリスクを軽減するように社会を変えてきた。このこと自体、第三次世界大戦前夜に暮らしている私たちの不安を幾分か和らげてくれる。だが国益や国家の威信を守るとか、聖戦だとか、秩序維持のためだとか、「やられたら、やり返せ」などと単純な論理で武力行使に踏み切る悪魔の誘惑は絶えないので、暴力の抑止のための戦いをさぼることはできない。敵は目に見える他者というより、自分自身の中に潜んでいて、その内なる悪魔を制御する限りにおいてかろうじて文明的でいられるのである。戦争準備に余念のない政府関係者必読の一冊。
朝日新聞 2015年03月15日
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