書評

『定本 山村を歩く (山と溪谷社)』(山と渓谷社)

  • 2017/12/06
定本 山村を歩く (ヤマケイ文庫) / 岡田 喜秋
定本 山村を歩く (ヤマケイ文庫)
  • 著者:岡田 喜秋
  • 出版社:山と渓谷社
  • 装丁:文庫(360ページ)
  • 発売日:2016-04-22
  • ISBN:4635047946

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時代に忘れられはじめて

初版は一九七四年の刊行。多少の手直しを受け、「定本」として再登場した。四十二年の歳月が日本の山村をどう変えたか。今となれば「山村」という言葉自体が、なにやらなつかしい。「村」としての共同体が崩壊して、現在は多く山里、あるいは里山、あいまいな空間用語をあてている。

復刊に際してのあとがきに、著者が当時の「日本の国状」を述べている。

「新幹線がはじめて登場し、人々の眼(め)は、大都会に傾き、ローカル線の沿線にある山村などは忘れられはじめていた」

まさにその一九七○年代である。六〇年代に所得倍増が時の言葉となり、エネルギーが石炭、木炭から石油にかわった。そして総選挙になろうとも、見向きもされない日本のエリアがあらわれた。面積でいうと国土のおよそ七割。山と山びと、山村の生活圏である。そこが実質的には空白さながらに見すごされる。

岡田喜秋(きしゅう)は旅の雑誌の編集のかたわら、時代に「忘れられはじめ」た山村を探訪した。秩父の隠れ里、こけし名人のいた里、飛鳥路の「冬野」という風雅な名前をもつ集落、荷を満載した馬たちが行きかった三州街道……。

ある里は、かつてのたたずまいが跡かたもなかった。べつの集落は大きく姿を変えていた。山崩れが一村を呑(の)みこんだ。あるいはダムに沈んだ。戦後の開拓でひらけた村から人が去って、元の荒地になっていた。

「さっき見た分教場も、今や無人の館だ。人々は、ある土地を、さまざまな理由で逃げ出してゆく。単に経済的理由に限らない」

土地ごとにその理由をたしかめて、納得しつつ同時に書かずにいられない。「これが山村の宿命と思いたくなかった」

一九七○年代は、全国の山々が大きく荒廃した時代だった。営林署の手が入り、「開発」という名で手当たりしだいに皆伐した。国立公園地帯では「見えないような裏側をコッソリ」、しかし大規模に伐(き)って、観光道路の両側だけがつい立て状にのこされたところもあった。林野庁管理下の営林署が独立採算を申し渡され、「緑の番人」から材木商に変貌したからである。朝日連峰の山村報告の結びに見える。「先生は去る。子供たちはいなくなる。そしてブナは伐られる」

自分を奮い立たせるようにして「昔日の風景」をのこした山村を見つけに行く。かわらず草競馬をひらいている山上の村。伝統的な「歌寄合」で日ごろのウップンを発散している信州の村。山々に隔離されたようでいて奥へ行くほどひらけてくるのは、旧道が通じているからで、トマトの産地として売り出し中。

水深探知器のようにして読める。あるいはこの国の戦後復興が山村と呼ばれた生活圏にどのようにはたらきかけ、どのように変化させたか。その功罪をつき合わせる最初の証言役。

現場で生きる人々の目とやさしさを思い出しながら、私のおぼつかない見聞から「その後」を少し書き加えておく。山村が暮らしやすくなったとしても、すべて都市の側の論理から実現したまでのことで、道路は川筋によって整備され、峠で結ばれていた集落の交流はなくなった。あらゆる情報が一方通行のかたちで送られてきて、わずかに昔の共同体のよすがをとどめていた祭礼や伝統行事も、平成の大合併のあと、観光イベントに組みこまれて大きく変質した。山びとの側に、どうして抵抗できようか。独自の山村文化圏が失われてしまったからだ。残念ながら人口減少と集落の消滅は、もはやとどめるすべがない。
定本 山村を歩く (ヤマケイ文庫) / 岡田 喜秋
定本 山村を歩く (ヤマケイ文庫)
  • 著者:岡田 喜秋
  • 出版社:山と渓谷社
  • 装丁:文庫(360ページ)
  • 発売日:2016-04-22
  • ISBN:4635047946

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年8月28日

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