間柄示す、彩り豊かな言葉の橋
マティスもルオーも画家なのだから、後世の受け手はまずは作品だけ観ていればよい、とも言える。けれど、この書簡集に触れた結果、少なくとも私にとっては、それぞれの絵を思い浮かべるときの歓びはさらに増したと打ち明けたい。本書に収められた書簡は、1895年の出会いから1953年南仏での最後の会見までの、半世紀以上にわたる交流をたどる。二人はパリ国立美術学校のギュスターヴ・モロー教室で出会う。それぞれ絵画表現は異なるが、出発点には、教室での経験の共有があった。恩師モローに対する敬愛の念も、晩年まで分かち合う。モローは方法を押しつけず、学生たちが自分自身を発見するように促したという。その自由な気風が、集う人々の可能性を開花させたのだろう。
41年、マティスが病を患い手術を受けた後、書簡の往復は増える。その時期のルオーの手紙にも、若い日の思い出はつづられる。「ここでは歯に衣着せずに本当のことを話そう。モロー先生と出会うまで、僕は痩せこけて黙りこくった一匹の狼だった」。ルオーの手紙には、その画風からはにわかに想像できないような笑い声が宿る。
別の日の、マティスの手紙には、ルオーのある絵の保管にまつわる話題が登場。「他人には指一本触れさせないよう大切にしまってあり、見るのは僕一人のはずなのに、どうしたことだろう、これまで何人もの人からこの絵の話を聞いた」。文字から伝わる声に、どきどきさせられる。
画商との駆け引き、贋作騒動、家族のこと、二人が晩年に見いだした「聖なる芸術」というテーマ。それほど親しい間柄だったと思われていなかった画家たちの間に、こんなにも彩り豊かな言葉の橋が架けられていたとは驚きだ。時期によって手紙の往復には濃淡がある。文字にされることはほんの一部分。書き切れないところがいい。それこそ書簡の魅力なのだから。