書評

『私にはいなかった祖父母の歴史―ある調査―』(名古屋大学出版会)

  • 2020/06/30
私にはいなかった祖父母の歴史―ある調査― / イヴァン・ジャブロンカ
私にはいなかった祖父母の歴史―ある調査―
  • 著者:イヴァン・ジャブロンカ
  • 翻訳:田所 光男
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2017-07-27
  • ISBN-10:4815808791
  • ISBN-13:978-4815808792
内容紹介:
これは殺人捜査ではなく、生成の行為だ――。スターリン主義、第二次世界大戦、ヨーロッパ・ユダヤ世界の破壊という20世紀の悲劇のなか、二人はどのように生きたのか。それを調べ、記すことの意味とは何か。革新的な歴史叙述により、アカデミー・フランセーズ・ギゾー賞、歴史書元老院賞、オーギュスタン・チエリー賞をトリプル受賞。『歴史は現代文学である』の姉妹編。

20世紀の悲劇の連鎖のなか、二人はどのように生きたのか――繊細な文章と大胆な筋書きで紡がれる調査/物語

著者の姓ジャブロンカは、ポーランド語で「ヤブウォンカ」と表記され、「小さなリンゴの木」を意味する。マテス・ヤブウォンカ(1909年生)とイデサ・ヤブウォンカ(1914年生)は、かつてポーランドからフランスに亡命したユダヤ人だが、その孫にあたるフランスの歴史家イヴァン・ジャブロンカ(以下、ヤブウォンカ)は、二人に会ったことがなかった。

20世紀の歴史の激流に呑みこまれたこの祖父母の真実を求めて、著者は調査を開始した。本書はその報告書であり、また家族の秘密に関する物語でもある。物語というものは、あくまで総体としてまるごと読まれるべきものなのかもしれないが、以下で本書の大筋を評者なりにまとめたい。

ポーランド、ユダヤ人、共産主義

20世紀前半ポーランドのパルチェフ。馬具職人だった祖父マテスは、その街で敬虔なユダヤ人シュロイメ・ヤブウォンカのもとに生まれる。当時のポーランドでは、反セム主義が吹き荒れ、ユダヤ人が経営する店舗への営業妨害が横行し、教育や法律の中にも差別が浸透した。そのため、この時代のユダヤ人青年によくみられたように、マテスは非合法のポーランド共産党に入党して、伝統的なユダヤ的生活様式や反セム主義に戦いを挑んだのである。そしてやがて党活動の中で、誰もがその美しさを口にしたイデサ・コレンバウムと出会う。革命で世界を変えるのだ。ソ連の同志たちと共に。二人はローカルな革命運動の主役になる。警察はマテスを「札付きの共産主義活動家」と呼び、マテスもイデサも「国家に対する犯罪」の咎で刑務所に送られた。そこでの苦痛はすさまじく、イデサは「受刑中にかかった精神病のために」釈放されるほどだった。

このとき既に、ドイツではヒトラーのもと、ナチス政権が成立している。戦前は人口の半数がユダヤ人だったパルチェフでは、かつてのシナゴーグの建物がいまや古着屋だ。シュロイメらはパルチェフでナチスの手にかかったか、そこから強制収容所に移送されて命を落とした。このとき、パルチェフのユダヤ人社会は殲滅されてしまったのだ。しかし、ユダヤ人のなかには、この難から逃れた者も存在したのである。

実は、1937年、ますます激しくなる抑圧から逃れるため、マテスとイデサはパリに赴いていた。共産主義という信条を生涯貫いたはずの二人は、ポーランド共産党がスターリンによって粛清されたことを知っていたのか――後にパリで生まれる著者は、資料を集めるかたわら、かつて祖父母が住んだアパートの周りを歩いて彼らのことを想う。いずれにしても、二人がソ連ではなく西に向かったのは、先行した兄姉を頼ってブエノスアイレスまで行くためだったのだろう。しかし、政治犯の経歴をもつ二人に国境は高くそびえ立ち、彼らは「サン・パピェ(非正規滞在者)」としてパリに留まった。マテスは、ブエノスアイレスに送った手紙で「ついていません」と弱音を吐いている。こうした中、1939年1月に生まれたシュザンヌと1940年4月に生まれたマルセルは眩い光だったに違いない。

「世界に存在することが許されない状況」

世界では人民戦線は崩壊し、独ソ不可侵条約が締結された。「世界に存在することが許されない状況」が、パリの片隅のユダヤ人一家を取り囲む。戦争が始まる中、マテスはフランスの外国人部隊に入隊した。だが、そこにロマンなどみいだせない。訓練も不十分で、何より信頼されていなかった外国人部隊の装備や境遇は厳しいものだったからである。結局1940年9月にマテスは復員し、パリに帰る。もはや彼に家族以外に居場所はなく、じきにそこからも去らねばならなくなる。

マルセルは著者イヴァンの父であり、シュザンヌも戦争を生きのびた。だが一体どのようにしてか。1943年2月末、マテスとイデサは警察に連行された。実は、二人は隣人の「ポーランド人」に、有事の際にはマルセルらを匿うように頼んでいたのだった。パリにはイデサのいとこアネットがおり、彼女はフランス人アナーキストであるコンスタン・クワノーと結婚していた。事件の後、あのポーランド人は、両親の依頼どおりに子どもたちをアネットに託した。そして、コンスタンは地下の児童保護組織と連携して、マルセルらはイレ・ヴィレーヌ県リュイトレ村ラルー地区のクルトゥ夫妻のもとで1944年末まで過ごすことになる。レジスタンスたちの協力が子どもたちを救ってくれたのだと、幼い日のマルセルがいた家を訪ねて著者は納得する。

1943年3月、マテスとイデサはアウシュビッツに到着した。この直前に二人は手紙を書いている。マテスはコンスタン夫妻に子どもを託すことに対して「心からの感謝」を述べ、イデサは子どもに宛てて、「お前たちにまた会える希望を持って、勇敢に私たちの運命に耐えるよう頑張ります」と綴った。二人の頭の中は子どものことでいっぱいだったのだろう。手紙の皺をのばしながら、著者は考えた。

年齢を考慮すると、マテスはゾンダーコマンド(ガス室から死体を運び出して焼却する役割)に選ばれた可能性が高い。しかし、1946年、家族の思いもむなしく、ブエノスアイレスのマテスの兄姉にアネットはマテスの死を知らせた。目撃証言があったらしい。だがイデサについては誰にも分からなかった。マテスとは違ってすぐに殺害されたのかもしれないし、病死か、あるいは衰弱して焼却場で焼かれたのかもしれない。彼女の死は空虚に支配されている。だからこそ、著者が「1981年、私〔著者〕のことを校門に迎えに来る」、と、イデサが死ななかった仮定の未来をそこに滑り込ませたことには、多くの読者が胸を打たれるのではないだろうか。以上が、ヤブウォンカの調査/物語の概要である。

著者は、ポーランドやフランス、イスラエル、アルゼンチン、アメリカを転々としながら、この調査を行った。マテスとイデサについて分かることはあまりに少なく、それだけにーつーつの事実が貴重だった。何しろ二人は数篇の手紙と一冊のパスポートしか残していなかったのである。そこから、裁判記録、警察文書、各種の回想録、関係者へのインタビュー等を駆使し、祖父母の生きた証を集めるとともに、所与の状況の中で彼らならどう生きるだろうか、と、著者は、仮説や演繹を繰り返して、ありえる複数の過去と対話して、物語を紡いだ。繊細な文章と大胆な筋書きのもと、読者は想像力をかきたてられながら本書を読み進めるだろう。

不在の主人公たち、調査の「失敗」

本書を読みながら、評者には、アラン・コルバン『ルイ=フランソワ・ピナゴの再び見いだされた世界――無名の男の痕跡』(原著1998年、邦訳は1999年;渡辺響子訳『記録を残さなかった男の歴史――ある木靴職人の世界 1798-1876』、藤原書店)が想起された。祖父母の足跡を調べるという目的からして、イヴァン・ヤブウォンカの研究には先行研究と呼べるものはなく、著者は様々な研究書に依拠しつつも、それらと本書との関係を特に論じてはいない。しかし、コルバンの作品とつき合わせてみることは、本書のことをより理解しやすくするように、評者には思われた。

一見すると、この2つの作品をつき合わせることの意味は分かりにくいかもしれない。これらで扱われたのは全く異質な主人公たちであり、彼らと各著者との関係も違っていた。コルバンは、木靴職人ルイ=フランソワ・ピナゴに、自らの研究対象に抱く親近感以上の感情はもたなかったはずだ。しかし、イヴァン・ヤブウォンカははっきりとマテスとイデサへの愛を表明する。そして、ピナゴは19世紀フランスの片田舎で一生を過ごし、特に犯罪に巻き込まれることもなく、人生の軌跡の中で、彼の経済状況は好転さえしたのだった。それに対して、イヴァンの祖父母は流転の人生を送り、あらゆる制度から迫害され、最後には業火の彼方に去ったのである。彼らの場合、ピナゴと対比するならば、痕跡を残さなかったというより、強制的に残させられたか、そうでない場合は残せなかったのだ。

しかし、このような差異がありつつも、本書とコルバンの著作には共通点がある。それは、2つの作品が、共に無名の存在に焦点を当て、想像の余地に満ちながらも、慎重な考察に基づいていると信頼できる歴史像を読者に提供している点である。本書でいえば、マテスとイデサが歴史に居場所を回復する過程では、戦間期のポーランドやフランスで、社会の周縁に生きた人びとのことが照らしだされるようになっている。もっとも、本書の目的はあくまでマテスとイデサについて調べることであり、その周囲をいくら埋めようとも、二人のことに関する調査の結果は「失敗した」と著者は述べている。

とはいえ、だからといって本書の価値が否定されるのかというと、決してそうではない。むしろここで興味深いのは、本書とコルバンの著作との対照性である。コルバンは、文字の書けなかったピナゴが視て、聴いて、語ったであろうことを再構成し、豊かな歴史像を紡いだのだが、これは、例外的に証言が残された民衆を扱ってきた社会史に対する挑戦だったのである。ピナゴは主人公でありながら一貫して不在の存在であり続け、コルバンはこのことについて、読者にも空虚と向き合ってもらいたいと語ったという。つまり、コルバンにとって、ピナゴの不在は彼の挑戦的試みの本質をなしたが、イヴァン・ヤブウォンカにとっては、祖父母の不在は「失敗」なのだった。このことは、既に指摘したような、研究者と研究対象との関係性の違いに起因していると評者は考える。どちらの作品も職業的歴史家の技術と矜持によって成り立っているが、本書には著者の一人の人間としての思いをより鮮明に読み取れよう。イデサが死ななかった未来の仮定は、空虚を埋めるためのものなどではなく、著者の切実な願いそのものなのだ。

新しい問いの手がかり

こうした作品に対して、日本の西洋史学はどのように向き合うことができるのだろうか。ここで見た研究は、実は、日本の研究者にはほとんどの場合、もちようのない文脈のもとで生み出された。コルバンは自身が精通するオルニ県の中からピナゴを研究対象に選んだわけだし、同様に本書も、著者自身の家族に関する調査であり、外部の者にはアクセス困難な史料に依拠するところが多い。そのため、方法論として応用することには西洋史学という領域では制約があり、評者としてはむしろ、ここで再構成された世界/物語との接続を試みることにより大きな可能性があるのではないかと考える。

例えば、20世紀前半当時、極端なエスノ言語的ナショナリズムに反対するポーランド人は存在し、多様な社会運動が存在しつつも、それらの相克は反セム主義が影響力をもつことを阻むものではなかった。マテスやイデサの人生は、いわばこの相克のーつの帰結だと位置づけられるだろう。また、今日、多民族地域としてのポーランドの過去はポジティブな側面が強調されて記憶されることが多いが、二人の人生は、そこに抑圧や排除のシステムが内在されていたことを忘れてはならないと私たちに教えてくれる。さらに、マテスらのように移動を強いられた人びとは、20世紀史への新しい問いを探る手がかりを提供しているのではないだろうか。彼らの視点から、1930年代のパリで有名無名の亡命者たちがひしめいていたことや、東欧から北米だけではなく、南米にも多くの人びとが移住していたことを捉えなおしてみることには、大変興味を引かれる。

以上で述べてきたように、本書から得られることは非常に多い。翻訳文は極めて読みやすく工夫されており、原著の文学性も十分に反映されているように思えた。翻訳者に敬意を表明する次第である。

[書き手]福元健之(近現代ポーランド史研究、日本学術振興会特別研究員PD)
私にはいなかった祖父母の歴史―ある調査― / イヴァン・ジャブロンカ
私にはいなかった祖父母の歴史―ある調査―
  • 著者:イヴァン・ジャブロンカ
  • 翻訳:田所 光男
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2017-07-27
  • ISBN-10:4815808791
  • ISBN-13:978-4815808792
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これは殺人捜査ではなく、生成の行為だ――。スターリン主義、第二次世界大戦、ヨーロッパ・ユダヤ世界の破壊という20世紀の悲劇のなか、二人はどのように生きたのか。それを調べ、記すことの意味とは何か。革新的な歴史叙述により、アカデミー・フランセーズ・ギゾー賞、歴史書元老院賞、オーギュスタン・チエリー賞をトリプル受賞。『歴史は現代文学である』の姉妹編。

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西洋史学 第265号(2018年6月)

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