書評
『耶律楚材 上 草原の夢』(集英社)
陰影に富んだ壮大な叙事詩
十三世紀はモンゴル帝国の時代だ。チンギス・ハンとその息子たちが、ユーラシア大陸のほぼ全域にその勢力をのばし、強烈な征服欲をほしいままにした。その徹底した略奪と殺戮(さつりく)は周辺地域の諸民族をふるえあがらせ、文明の行く末に不吉な暗雲をもたらした。その遊牧民族の凶暴なエネルギーの膨張をどのようにして食いとめ、秩序ある国家の鋳型に融けこましていくのか、――この困難な政治課題に応えるべく中国大陸の側から彗星のごとく登場してきた人物が、本書の主人公・耶律楚材(やりつそざい)である。
この政治的天才は、契丹(きったん 遼=りょう)の血を引く王族の出であった。その遼はやがて女真族の金に滅ぼされ、一族は父祖の代から金王朝に仕えていたが、かれの時代になってモンゴル軍が侵入してきた。
耶律楚材のからだにはこうして遊牧民の血が流れていたが、その教養は漢族の儒教とインド伝来の仏教思想によって磨きあげられ、行政家としても朝野の与望を担うまでになっていた。その抜群の才能に目をつけ、自己の幕営にリクルートして宰相の地位につけたのが、外ならぬチンギス・ハンその人であった。
小説の舞台は、耶律楚材がモンゴルの中枢に招かれ沈着冷静な政策を実行に移すあたりから急転し、チンギス・ハンの死を経て金王朝が滅亡するまでの盛衰のドラマが息もつがせずに展開していく。
むろん作者の眼は、モンゴルの勢力が西域をこえてはるかイスラム圏やロシアにまで拡大し、新たな葛藤をつぎからつぎへと引きおこしていく起伏のプロセスをも見逃してはいない。チンギス・ハンの死後、後継者をめぐる権力闘争が克明にたどられ、その激浪にもまれながらしだいに孤独の淵に沈んでいく主人公の姿が陰影に富む筆致で描き出されている。
今日におけるわれわれの政治課題ともからめて、いろんな読み方を誘わずにはいない壮大な叙事詩の登場といってよいだろう。
ALL REVIEWSをフォローする






































