書評

『黒川能 1964年、黒川村の記憶』(集英社)

  • 2020/07/09
黒川能 1964年、黒川村の記憶 / 船曳 由美
黒川能 1964年、黒川村の記憶
  • 著者:船曳 由美
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:2020-01-07
  • ISBN-10:4087890139
  • ISBN-13:978-4087890136
内容紹介:
月山の麓で500年以上続いてきた農民たちの秘祭を、初めて村の内側から描いた貴重な記録。黒川能に関する決定版ともいうべき一冊。

五輪の陰もう一つの奇跡

黒川能とは、山形県庄内地方、黒川村(現鶴岡市)に伝わる伝統芸能・神事で、500年余の歴史がある。旧暦の正月(2月1日と2日)に行われる王祇祭(おうぎさい)では、春日神社のご神体「王祇様」をそれぞれ上座、下座と呼ばれる2軒の「当屋(とうや)」に迎え、夜を徹して能と狂言が演じられる。能楽五流(観世、宝生、金春、金剛、喜多)とは異なり、役者も囃子(はやし)方も玄人の能楽師ではなく、春日神社の氏子が務めるのが特徴である。

著者は、この神事能に初めて写真家を伴い、詳細にその記録を残した、雑誌『太陽』の編集者だった。1964年、日本中が「オリンピック」で舞い上がっていたころ、もっと違う、土地に根づいた「祭典」を見たいと願っていた著者は、黒川能を詠った真壁仁の一篇の詩に導かれて村を訪ねる。

64年から65年にかけて行われた取材は、『太陽』66年2月号の「雪国の秘事能」に結実するのだが、本書は、その記事作成のいわば裏話であり、誌面では書ききれなかった神事の詳細であり、村人たちの息遣いの記録である。

若き日の著者は、真壁仁の紹介状を携え、おずおずと黒川村に足を踏み入れるのだが、そこで出会うのは、「神事」という漢字から受け取る厳(いか)めしさが、のっけから覆されるほどの、振る舞い酒の量である。

村人に「里帰り」と冷やかされるほど村に通いつめ、泊めてもらっている家の娘のように「権治郎(ゴンジロー)家の姉(アネ)ちゃ」と呼ばれるまでになった著者が描こうとしたのは、その神事がいかに長い伝統を持ち、丁寧に継承された厳かなものであるのかと同時に、それがいかに村人に愛され、大事にされ、生きる喜びとなっていたか、生きることそのものであったか、なのだろう。神事の記述は学術的な価値もあろうほど緻密でありながら、村人の方言が楽し気に飛び交う、物語のようでもある。

能と同じくらい微に入り細を穿ち描かれるのが「ご馳走」であることも、王祇祭が人と神様がいっしょに興じる祝宴であることを語っている。「神様のトーフ」を村人総出で炙り、雪の上で作る伝統の「凍(し)み豆腐」のくだりも読んでいて楽しい。

黒川能には、能楽五流が継承しなかった曲目が山ほどあるという。王祇様を迎える資格があるのは、座中で最も年を取った者で、「田んぼをいくら持っていようと、その一族がいかに多くいようと」考慮されることはない。小さな男の子からおじいさんまで、役を得て、回り持ちで演じる。その「絶対の平等性」も清々しい。著者が「ユートピア」と感じた祭りの村の四季は、ファンタジーのようでもあり、その村が月山の麓に残されたことを奇跡と呼びたくなる。

『太陽』の特集は観光客を呼び寄せ、それはのちに問題にもなったそうだが、著者が村を訪ねた64年は、取材ができるぎりぎりの年だったのかもしれない。『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節著・講談社現代新書)によれば、65年を境に「キツネに化かされた」という証言が劇的に減るのだそうだ。人と自然との結びつきに、革命的な変化があったのが、64年、65年あたりということらしい。

むろん、黒川能はいまや国の重要無形文化財であり、大切に後世に伝えられていくだろう。ただ、著者が訪ねた64年の黒川村はとうぜんのことながらもう存在しない。

そして、その年、その村が記憶され、記録されたことには、私たちにとって重要な意味があるように思えてならない。
黒川能 1964年、黒川村の記憶 / 船曳 由美
黒川能 1964年、黒川村の記憶
  • 著者:船曳 由美
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:2020-01-07
  • ISBN-10:4087890139
  • ISBN-13:978-4087890136
内容紹介:
月山の麓で500年以上続いてきた農民たちの秘祭を、初めて村の内側から描いた貴重な記録。黒川能に関する決定版ともいうべき一冊。

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毎日新聞 2020年3月8日

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