書評
『心の進化を語ろう: 比較認知科学からの人間探究』(岩波書店)
前例ない多様な対象への成果凝縮
副題が「比較認知科学からの人間探究」とある。それで、本書のテーマは語り尽くされているが、そもそも「比較認知科学」とは、と本書を繙(ひもと)けば、まあ、何と多様で刺激的だろうか。多様さの最も判り易い側面は、本書への寄稿者が、編者を含めて実に五十四人に亘(わた)るという、ちょっと類書にない点だろう。それだけ多様な観点が必要であり、研究の進行につれて、観点の拡大があったのだろう。
もう一つ、人間比較の対照者として選ばれた対象は、編者の専門からすればチンパンジーであろうとは、誰もが予想するところだが、どうしてどうして、本書には、チンプはもとより、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなどのヒト科、霊長類のニホンザルばかりか、哺乳動物のイルカ、ウマ、コアラなどさえ越えて、鳥類までが登場する。これだけでも、書き手が大勢に広がるのは当然だろう。
もう一つ、こうした方法論からだけでも判る本書の基本姿勢に触れておこう。ヒトは、いやここは、人間は、と書くべきだろうが、生命界のなかでの特別な存在である、という通念は、進化論以降の現在でも、また宗教的な理念を除いても、抜きがたく常識のなかに存在する。その根拠としては「こころ」の働きが前提とされている。それこそが、近代哲学の起草者デカルトが、紛れなく主張し得た(と思った)ところであった。
本書では、ヒトも含めてすべての生物が、完全にフラットな地平の上に並べられている。勿論、それぞれの生物には、独自の生活圏があり、より根源的には独自の認知圏とでもいうべきものがある。それぞれの独自性を越え、圏域の壁を越えるためには、その圏域の中に埋没することから、一歩踏み出さなければならない。そして、その一歩に必要なことは、どこかに特定の視点を据えることから脱して、等しい地平の上を見渡せる視点を見つけることである。本書に掲載されている諸論は、基本的に人間として難しいこの作業に取り組み、そこに目覚ましい成果を上げつつあることを示している。
こうしたアプローチの陥り易い落とし穴は、様々な生物の持つ圏域を、人間の圏域に引き寄せて語る、という誘惑が強いことである。そうではなく、先ずはその生物の圏域に、自分が入り込んでみることが必要になる(例えば狩野文浩・友永雅己論考「チンパンジーの視点から世界を見る」)。考えてみると、それができるのは、人間だけでは、という思いが、またもや浮上するが、それはここでは措こう。いや、むしろ彼ら(他の生物たちも)多かれ少なかれ、それができる、ということこそ本書の諸論から読み取るべきなのかもしれない。
当然のことながら、こうしたアプローチは「行動科学的」な方法が研究の基礎となるが、遺伝子解析のような方法も、各所に取り入れられていることは、やはり現代である。
最初に置かれた、編者による、本書の解題めいた論考を除くと、一つ一つの論考は、もともと科学雑誌にコラム風に掲載されていたもので、それぞれが凝縮された表現に依っている。読者は、直接本書に当たって、この広大な世界の細部を確かめられるよう、お勧めする。
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