祖先が歩いた時間と空間
新型コロナウイルス感染症のパンデミックや気候変動問題により、現代社会の脆弱さが顕在化し、自然の操作と自然離れした生活をよしとする価値観への疑問が生まれている。そこで、人間と自然との関係を踏まえた歴史の考察が必要となる。それは、人間の歴史でなく人類の歴史だ。近年この視点が生まれつつあるが、本書の特徴は、人類の動きを描いた世界地図、豊富な写真と図表によって、時間と空間を総合的に見られるところである。わかりやすいと同時に、さまざまな問いを引き出してくれる。
人類は、ホモ・サピエンスだけではない。700万~600万年前にチンパンジーの共通祖先と分かれた時点ですでに3系統ほどが知られている。その後、主として東アフリカで生まれた20種類以上の系統の中から200万年ほど前にホモ属が誕生し、その一つの枝として私たちの祖先ホモ・サピエンスが生まれたのである。現生人類は1種だが、常に複数の仲間がいた。進化とは、一本の線を進むものではなく、その中で私たちだけが生き残ったのはなぜかという問いへの簡単な答えはない。
出アフリカをしての拡散も、サピエンス以前のホモ属で2回も行われており、ヨーロッパ、コーカサスなど地域ごとに進化した。足跡の化石や石器などから彼らの生活が少しずつわかり始めている。
ホモ・サピエンスによる13万~10万年前、3度目の出アフリカが今につながる。重要なのはネアンデルタール人との出会いであり、交雑のあったことがわかってきた。その他、アルタイ山脈のデニソワ人、インドネシアのソロ人、フローレス原人も同時代を生きている。デニソワ人が現在のニューギニアの人とつながり、そこから島が分化の中心地となったという姿も見えてくる。火の利用、石器などの技術と墓や洞窟内の構造物、装飾品などが見られるようになり、人類の特徴が浮かび上がる。最近、7万~6万年前の南アフリカで生まれた尖頭器(せんとうき)文化など2度の文化革命が明らかになった。
「荒ぶる地球」というページでは、氷河期、噴火などの災害がくり返し起きる地球に人類の活動が重ね合わされる。現生人類のゲノム多様性が小さいのは、先史時代に絶滅の危機があったことを示す。
それを乗り越えた祖先の特徴は、4万2000年ほど前の象徴の理解、抽象思考のできる知性の開花(壁画、彫刻、埋葬など)という精神革命にある。DNA解析から、現生人類最後の拡散は言語をもち、見知らぬ土地に定住する能力をもつ仲間による。オーストラリア、アメリカ大陸へも拡散し、移住先で起こるのが今につながる農耕革命だ。各地での生態学的、地理的要因で生み出される多様性を示す各種の地図と写真から当時の人々の思いを想像し、もし私がここにいたらこの道を歩いただろうかと考えた。ここでの選択が現代につながるからだ。
最後の、遺伝子・民族・言語の章はまさに地図を楽しめる。人類の遺伝子も音素もアフリカから離れるほど多様性が縮小する。生物(動物・植物)多様性と文化(言語)の多様性に見られる相互関係から何が読み取れるかは難しいが、考えるべきことは多い。
多様の重要性を知りながら画一化の道を歩む私たちに多くを考えさせる人類史マップである。