書評
『哀歌』(新潮社)
人間の苦悩と悲しみ描く渾身の作
小説にまだこれだけの力が残されていたのかと実感させる渾身の力作である。世界の情勢に疎い日本人でも、ルワンダの部族紛争で大虐殺があったことは記憶している。多数派部族が少数派部族を大量に殺したことも知っている。しかし、理解はそこまでで、虐殺事件を我がことのように恐怖をもって感知しえた人はほとんどいない。
だが、本書をひもといた読者は、平和な日本では想像力の及ばない凄まじい憎悪と暴力が民族・部族という要因から生まれ出て、きれいごとの「友好」など一瞬のうちに吹き飛ばし、あっという間にホロコーストの悪夢へ至る現実に深く戦慄することになる。同時に、その黙示録的な描写を通して、人間存在の根源的な苦悩と悲しみを理解する。
かつてベルギーの委任統治領土だったアフリカ東部の某国にカトリックの修道会から派遣された日本人修道女鳥飼春菜(とりがいはるな)は、この国の絶望的な貧困と飢餓と病気に直面しながらも、ベルギー人修道院長スール・ルイーズの指導の下、献身的な日々を送っている。
ルワンダでは、少数派だが上層階級を占めていたツチ族と貧しい民衆の多いフツ族の間で部族対立が続いていたが、大統領の座にすわったフツ族出身の政治家がラジオ局を開設して強力な「ツチ族浄化キャンペーン」を行ったことにより、危機が増幅する。ディスクジョッキーが猥雑な言葉でツチ族虐殺を教唆しはじめたのだ。民兵が組織され、ツチ族の名簿が作られる。修道女の間でも部族対立が深まり、新修道院長に納まったフツ族出身のスール・カリタスは分校にツチ族出身の生徒と、修道女を隔離する。
やがて、大統領が湖で溺死するという事件をきっかけに、悲劇の幕が切っておとされる。ディスクジョッキーは「静かに、静かに。皆、仕事をすればいいんだよ」と繰り返す。
「仕事」とはツチ族虐殺の指令なのだ。修道院に隣接するサクレ・クール教会にも難民がなだれこんできて大混乱に陥る。春菜はフツ族出身だが新院長には批判的な修道女スール・ジュリアとともに深夜、分校に出掛け、そこで恐るべき光景を目撃する。
何か異変の匂いがする。奥の方から、影法師のようなスール・ジュリアが現れた時、春菜は静寂の意味を悟った。『何もかも終わってるわ!』(中略)スール・セラフィーヌは、両眼をしっかり開けて仰向けに倒れて月を見ていた。その瞬きもしない固定された視線が、むしろ確実に死を告げていた
しかし、悪夢はまだ始まりでしかなかった。武装した軍と民兵の一団が教会に現れ、避難民を皆殺しにしたのだ。翌朝、春菜は焼けた死体に群がる奇妙なものを目撃する。「屋根の焼け落ちた教会の上には、黒雲というほどではないが黒ずんだ霞がかかっていて、それが巨大な蚊柱に似たハエの塊なのであった」
生存者がいるという庭師に導かれて小屋に入った春菜に今度は個人的悲劇が襲う。「キンボの手は春菜の口を覆っていた」
国連軍に救出された春菜は隣国の首都に逃れ、そこで出会った日本人の画廊経営者田中一誠の助けで帰国することができたが、やがて、生理が来ないことに気づく。
悪夢は悪夢として処理する決意を固めた春菜は、田中に電話をかけるが、そのとき秘書から伝え聞いた田中の言葉で……。
人は悲しみと苦悩を介してしか神の「恩寵」を感じえないのかという曽野綾子文学の集大成である。
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