書評
『幽霊船』(国書刊行会)
ある朝、行き倒れて、雪に埋まって寝ていた浮浪者が目覚め、「死ななかったのが不思議なくらいだ」とその幸運を喜ぶ。しかし、旅の道連れとなった少年は訊ねるのだ。「どうして死ななかったとわかるのさ?」――。
あるいは、またこんな話。嵐の晩、幽霊船が平和な村の蕪(かぶ)畑に吹き飛ばされてくる。それまで品行方正だった村の幽霊たちが、船で夜な夜な開かれる乱痴気騒ぎに通っては顰蹙(ひんしゅく)をかうことばかりしでかすようになったので、ついに牧師が船長のもとを訪れて若い幽霊に及ぼす悪影響について忠告すると――。
前者は「ブライトン街道で」、後者は「幽霊船」という短篇小説で、日本では言うまでもなく、本国のイギリスですらマイナーな作家リチャード・ミドルトンの『幽霊船』に収録されている。本書にはこうした幽霊譚の他、幻想小説あり、評伝小説あり、自伝小説あり、創作の謎に迫る批評小説のはしりのような作品ありと、内容は実に多彩。十九世紀初めの作品ゆえに、たしかに少々古めかしく感じられはするが、一度読んだら忘れられない鮮やかな印象を心に刻みつける傑作揃いなのである。
思うに、自分自身も含めて現代の読者は、プロットや構成、テーマばかりに気を取られすぎるんではないだろうか。生前には認められず、二十九歳で自殺したミドルトンの作品には、冒頭で紹介した二篇のようにプロットの妙に感心させられるものも少なくはないのだけれど、それより何より事物や思想を表わす際の言葉の選択ぶりにただならぬ才能を感じさせるのである。
暗いタンクの中にひっそりといる、人には見えない美しい魚の話を年少の子らにしてやる少年(「屋根の上の魚」)のごとく、ミドルトンは読者に物語る。しかし、見えない美しい魚を表現し得るのは、凡人では操ることができない稀有な言葉でなければならないはずだ。ミドルトンはその稀有を内に豊かに根づかせた作家なのだと、わたしは思う。そして世間から忘れ去られようとしていたこの稀なる才能を、自身小説家である南條竹則氏がなんと素晴らしい訳文で現代に甦らせていることか。小説の初めに言葉ありき。この短篇集はそんな古くて新しいことを再認識させてくれる。
【この書評が収録されている書籍】
あるいは、またこんな話。嵐の晩、幽霊船が平和な村の蕪(かぶ)畑に吹き飛ばされてくる。それまで品行方正だった村の幽霊たちが、船で夜な夜な開かれる乱痴気騒ぎに通っては顰蹙(ひんしゅく)をかうことばかりしでかすようになったので、ついに牧師が船長のもとを訪れて若い幽霊に及ぼす悪影響について忠告すると――。
前者は「ブライトン街道で」、後者は「幽霊船」という短篇小説で、日本では言うまでもなく、本国のイギリスですらマイナーな作家リチャード・ミドルトンの『幽霊船』に収録されている。本書にはこうした幽霊譚の他、幻想小説あり、評伝小説あり、自伝小説あり、創作の謎に迫る批評小説のはしりのような作品ありと、内容は実に多彩。十九世紀初めの作品ゆえに、たしかに少々古めかしく感じられはするが、一度読んだら忘れられない鮮やかな印象を心に刻みつける傑作揃いなのである。
思うに、自分自身も含めて現代の読者は、プロットや構成、テーマばかりに気を取られすぎるんではないだろうか。生前には認められず、二十九歳で自殺したミドルトンの作品には、冒頭で紹介した二篇のようにプロットの妙に感心させられるものも少なくはないのだけれど、それより何より事物や思想を表わす際の言葉の選択ぶりにただならぬ才能を感じさせるのである。
暗いタンクの中にひっそりといる、人には見えない美しい魚の話を年少の子らにしてやる少年(「屋根の上の魚」)のごとく、ミドルトンは読者に物語る。しかし、見えない美しい魚を表現し得るのは、凡人では操ることができない稀有な言葉でなければならないはずだ。ミドルトンはその稀有を内に豊かに根づかせた作家なのだと、わたしは思う。そして世間から忘れ去られようとしていたこの稀なる才能を、自身小説家である南條竹則氏がなんと素晴らしい訳文で現代に甦らせていることか。小説の初めに言葉ありき。この短篇集はそんな古くて新しいことを再認識させてくれる。
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初出メディア

ダカーポ(終刊) 1997年7月16日号
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