書評

『夜明け前のセレスティーノ』(国書刊行会)

  • 2021/12/07
夜明け前のセレスティーノ / レイナルド・アレナス
夜明け前のセレスティーノ
  • 著者:レイナルド・アレナス
  • 翻訳:安藤 哲行
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(319ページ)
  • 発売日:2002-04-01
  • ISBN-10:4336040303
  • ISBN-13:978-4336040305
内容紹介:
母親は井戸に飛びこみ、祖父は自分を殺そうとする。寒村に生きる少年の目に鮮やかに映しだされる、現実と未分化なもう一つの世界。ラテンアメリカの魔術的空間に、少年期の幻想と悲痛な叫びが炸裂する!『めくるめく世界』『夜になるまえに』のアレナスが、さまざまな手法を駆使して作りだした「ペンタゴニア(5つの苦悩)」の第1部。

キューバの、詩を書く少年

ここのトカゲは形がちがってる。ぼくは頭がふたつあるのを見たばかり。はいずってるそのトカゲには頭がふたつある。
たいていのトカゲがぼくを知ってて、ぼくを憎んでる。憎んでる、機会をうかがってるってことは分かってる……。(中略)
ついにぼくは一匹見つける。棒でなぐりつけ、ふたつにする。でも生きてて、片方は駆けだし、もう片方はぼくの前で跳ねはじめる。とんま、そんなに簡単に殺せるなんて思うなよ、と言ってるみたいに。

「人でなし!」とぼくのかあちゃんは言い、ぼくの頭に石をぶつける。「かわいそうに、トカゲたちはそっとしておくの!」。ぼくの頭はふたつに割れ、片方は駆けだした。もう片方はぼくのかあちゃんの前にいる。踊ってる。踊ってる。踊ってる。

この突飛で豊穣で凄惨な小説を読みながら、私はめまいと笑いをもたらす言葉の渦に巻き込まれ、絶句し続けるしかない。しかしその絶句に身を任せるのは、何と心地よい体験だろう! アレナスの繰り出す言葉は爆発的なエネルギーでもって、読む私を想像力の空間に浮かせ続ける。

このとてつもない才能を持ったキューバ人作家レイナルド・アレナスは、日本では死後十年以上たってようやく知られてきたばかりだ。邦訳は、これまた奇想天外なピカレスク小説『めくるめく世界』、驚異的な自伝『夜になるまえに』(以上国書刊行会)、晩年の短編集『ハバナへの旅』(現代企画室)の三冊が刊行されているが(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2002年)、アレナスがライフワークとして命を賭けて書き続けてきたのは、この『夜明け前のセレスティーノ』に始まる五部作、アレナスがペンタゴニア(五つの苦悩)と自ら名づけた長編群である。

命を賭けて書き続けた、というのは誇張でも何でもなく、二十二歳で書いたデビュー作の『夜明け前のセレスティーノ』が二年後の一九六七年にほんのわずかばかり出版されたのち、アレナスは作家として同性愛者としてキューバ政府から迫害を受け、著作を発表できなくなる。それでも国内亡命者となりながら書き続け、逮捕、一年の獄中生活を経て、一九八〇年にニューヨークに亡命してからはようやく執筆も出版も自由になり、五部作を完結させた一九九〇年、エイズのため残り少ない命を自ら絶つ。

『夜明け前のセレスティーノ』はアレナスがおそらくは十歳になる前の幼年期の記憶がモデルとなっている。暑くて不毛で町から遠いキューバの寒村で、語り手の「ぼく」は、孤独でいつも井戸に飛び込みたがる「かあちゃん」、暴力の権化のような「じいちゃん」、陰険で意地悪な「ばあちゃん」らに囲まれ、憎まれ、叩かれ、こき使われ、まったく理不尽で暴力的な暮らしをしている。もしこの小説がリアリズムで書かれたら、あまりに重苦しくてこちらまでうつむいてしまいそうなほどの陰惨な生活である。

しかし、冒頭の引用にあるように、その出口のない牢獄的生活は、空想によってめくるめく冒険世界に変容させられていく。ふたつに分かれて逃げ出した「ぼく」の分身は、セレスティーノといういとことなってまた現れるだろう。小説の冒頭では、「ぼく」は井戸を覗き込んで水面に映る自分を見るが、それもセレスティーノ。セレスティーノは、紙でも葉っぱでも木の幹でも、手当たり次第に詩を書いていく。次々とあふれ続ける言葉を木の幹に彫り込んだその詩は、もしかしたらこの小説自身かもしれないが、それはともかく、「ぼく」の語りの中でも言葉はふたつ頭のトカゲのように分裂し、井戸の水面に映った像のように増殖し、踊り始める。

例えば、セレスティーノが木に詩を書いていくそばから、詩を書くなんて女々しく恥ずかしいと感じている「じいちゃん」は斧(アチャ)でもってその木を切り倒していく。セレスティーノを助けたいと切羽詰まっている「ぼく」が、怯えながらその音を聞き続けるうち、「アチャス」の文字が増殖してページを埋め始め、リズムを刻み、ついには自分の笑い声まで「アチャス アチャス アチャス」となり、「ぼく」はアチャスに追いつめられる。

「ぼく」はまた、さらに増殖して「死んだいとこたち」にもなる。「ぼく」は「じいちゃん」や「ばあちゃん」「かあちゃん」の手の届かない、夜の屋根の上でときどきいとこたちと会い、「じいちゃん」を殺す計画を立てる。その機会は、いとこたちや魔女や小妖精や「おばさんたちのコロス」などが集まるサバトのようなクリスマスイヴに訪れるが、「ぼく」は背後からナイフを突き立てようとした瞬間、「じいちゃん」に振り返られ、いままで決してしなかった笑顔で笑いかけられ、力が抜けて失敗してしまう。

「ぼく」の家では、死んで蘇ることはあっても、誰も生まれない。「じいちゃん」も一度は死んで飢えたみんなに食べられるものの、次の場面ではまた登場してくる。この小説の世界では、世代が交代することで時が動き「ぼく」が成長して、世界の構造に亀裂が入るようなことはない。「ぼく」の増殖やその言葉の増殖は、世代を動かす生殖ではなく、コピーである。アレナスはいつでも、生殖ではなく、ハイブリッドなコピーの増殖でもって、いまある世界からはみ出て、その外の愉楽に身をさらそうとする。この小説自体、大きくは三つの部分に分けられ、それぞれの最後に「終」「二番目の終」「最後の終」と書かれているが、「ぼく」とセレスティーノのサバイバルは何度も同じ形で続く。そんな閉塞的な世界を破りあふれでようとして、「ぼく」は延々と増殖し、過剰なまでに言葉を紡ぎ出していく。

コピーとは引用でもある。作中には、実在・フィクションを問わず、さまざまな人物のフレーズが、突然一ページを割いて闖入してくる。ボルヘスやランボーや「マクベス」の一節があるかと思えば、家に雷が落ちたときに、「あっとビックリ!——ぼくの、いかれたファウスティーノおじさん」などという、この小説の登場人物の文句が一ページ、挟まれたりする。

こうして「ぼく」は、自分の増殖させた言葉、外部から乱入してきた言葉を、織り交ぜ、自分のものに変え、生きてしまう。一人だけ異邦人のような「ぼく」がこの家の世界で生きる余地を確保するために、自分の作った空想になりきり、振り回されるのだ。そんな隠れ家は、「ぼく」にとって秘密の楽園でもある。

しかし、「かあちゃん」が叫ぶとおり、この「ぼく」の世界は永遠であり、終わらせるためには増殖を止めるほかない。井戸の水に映る像をなくすしかない。セレスティーノは何度も殺され、「ぼく」は井戸に飛び込む。

まあ、こんな分析など無意味になるほどに、この小説には読む者を破裂させる力がみなぎっている。読後には、わが身の不幸や不毛をナイーヴにアイロニックに嘆く自分が、馬鹿らしく感じられることだろう。空想とは、快楽そのものなのだ。

湧き出るようなスペイン語原文のリズムや詩的な子どものイメージの数々を、ほぼ同じ感触で堪能できる日本語訳文もすばらしい。安藤哲行氏のアレナス翻訳はこれで三冊目だが、ペンタゴニアの残りの四作も邦訳が続くことを切望している。
夜明け前のセレスティーノ / レイナルド・アレナス
夜明け前のセレスティーノ
  • 著者:レイナルド・アレナス
  • 翻訳:安藤 哲行
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(319ページ)
  • 発売日:2002-04-01
  • ISBN-10:4336040303
  • ISBN-13:978-4336040305
内容紹介:
母親は井戸に飛びこみ、祖父は自分を殺そうとする。寒村に生きる少年の目に鮮やかに映しだされる、現実と未分化なもう一つの世界。ラテンアメリカの魔術的空間に、少年期の幻想と悲痛な叫びが炸裂する!『めくるめく世界』『夜になるまえに』のアレナスが、さまざまな手法を駆使して作りだした「ペンタゴニア(5つの苦悩)」の第1部。

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