道路の上、命がけで殻をやぶる
どうして、こんなところにいるのだろう。そんな場所に、と思えるような場所にセミの抜け殻を見つけるときがある。たとえば、まわりに木がないようなコンクリートの塀にセミの抜け殻がある。
どこから歩いてきたのか。どんな思いでここにたどりついたのか。
セミは、夏の終わりになると木の幹に卵を産みつける。そして、翌年の梅雨の頃になると卵から孵化(ふか)をした1ミリか2ミリ足らずの小さな幼虫が、木の幹を降りて地面に潜るのである。それから、ずっとセミの幼虫は、外の世界を見ることなく、地面の下で過ごす。
土の中に暮らすセミの幼虫の生態はわかっていないことが多いが、土の中で木の根っこから栄養分を吸いながら6、7年もの歳月を過ごすのではないかと考えられている。生まれたばかりの赤ん坊が、小学生になるくらいの歳月だ。
セミの幼虫は地面の下に潜って何年も暮らし、ある年の夏に、満を持して大人になる。まだ暗いうちに地面の上に這い出て木に登り、朝早くに羽化(うか)するのだ。
セミの幼虫にとって、地上は敵がいっぱいである。特にのろのろと歩いているセミの幼虫はかっこうの餌食だ。そのため、天敵である鳥たちが活動をしない暗いうちに成虫になるのである。
ところが、セミの幼虫が土の中に潜ってから、あたりの風景は一変してしまうこともある。木々が切られてなくなってしまうこともある。土がコンクリートで埋められてしまうこともある。
やっとの思いで土の中から出てきても、羽化するための木が見つからないこともあるのだ。
探し回った挙げ句、あきらめて、アスファルトの道路の上で羽化しているセミの幼虫を見かけたこともある。
本当であれば、セミは木の幹にしがみついて羽化し、抜け殻につかまりながら羽を乾かすのである。水平方向で抜け殻の上に乗ることは、セミにとってはずいぶんと難しいことのように思える。抜け殻の上でバランスを保ちながら、羽を乾かすことも、命がけだ。たとえ、木ではなくても、コンクリートの壁や、金網のフェンスを見つけることができれば、垂直方向につかまり羽化をしたかったことだろう。
道路の上で羽化するなど、本当にやむにやまれぬ状況だったに違いない。
どれだけ歩き回ったのだろうか。道ばたの側溝(そっこう)に落ちてしまったセミの幼虫を見たこともある。
夏になると当たり前のようにセミが鳴き始める。短い命を惜しむかのように、一斉にセミは鳴く。しかし、無事に成虫になって鳴いているセミたちは幸せである。
長い幼虫の時期を経て、地面の上に這い出てきても、無事に成虫になれるとは限らないのだ。
羽化まであと一歩のところで…
どうして、ここまで来て……。
そう思えるセミを、ときどき見かける。
もう羽化の途中である。古い体を脱ぎ捨て、上半身は、もう外に出ている。
もうあと一息である。もうあと少しで、地上での生活を謳歌するセミになることができる。そのときは、もうそこまで来ている。
それなのに、ここで力尽きてしまったのだ。
最後の最後まで力を振り絞り、ここで命が尽きてしまったのだ。
羽化に失敗してしまったのだろうか。
せっかく成虫になったのに、羽のねじれたセミが、地面の上をうろうろとさまよっていることもある。彼は命が尽きるまで、歩き続けるのだろう。
世の中にはたくさんのセミがいるが、苦労して長い地中生活を終えたとしても、無事に成虫になることは簡単ではない。もちろん、鳥などに襲われて命を落とすものもたくさんいるのだろう。
いったい、どれだけの幼虫が無事に羽化を果たすことができるのだろうか。
セミの羽化の成功率は8割ほどであると言われている。2割のセミは、羽化に失敗しているのだ。
セミが成虫として羽ばたくことは、当たり前のことではない。
大人になるのは大変なことなのだ。
羽化に失敗し、大人になることなく死んでいくセミの幼虫たち。夏の日の朝、そんな姿を見るのはつらい。
その目が、こちらを見ているような気がする。何かを訴えているような気がする。
夏の朝陽が輝き出す。もう、セミたちは一斉に鳴いて騒がしい。
今日も暑くなりそうだ。
[書き手]稲垣 栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年静岡県生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省、静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職