書評
『形見函と王妃の時計』(東京創元社)
一九八三年、〈わたし〉は奇妙な骨董品と出会う。それは函を組み立てた当人の個人史における決定的な瞬間や、運命を変えた出来事にまつわるものを収めた形見函。十の仕切りの中に収納された思い出の品々から紡ぎ出される、フランス革命前夜のパリで自動人形の開発に心血を注いだ天才発明家の数奇な生涯とは――。昨年翻訳されたアレン・カーズワイルの『驚異の発明家(エンヂニア)の形見函』の姉妹編にあたるのが『形見函と王妃の時計』だ。ここでは、姉編における〈わたし〉の素性が明かされている。それは大富豪の蒐集家ヘンリー・ジェイムズ・ジェスン三世。そのジェスンに頼まれて、形見函の十番目にあたる空っぽの仕切りの中に何が収められていたかを調査するのが、若くて有能な図書館司書アレクサンダーこと〈ぼく〉なのである。
さて、ジェスンの貴族的な物腰や豊かな教養に惹かれた〈ぼく〉は、「そんな胡散臭い男と関わるな」という妻の忠告を無視して、レファレンス能力をフル回転させ、ついに空っぽの仕切りの中に納められていたのが、名匠ブレゲがマリー・アントワネットのために製作した携帯時計だということを突き止める。案の定、ジェスンはそれを形見函の中に取り戻したいと言い出すのだが、当の国宝クラスの時計は、一九八三年、つまりジェスンが形見函をオークションで落札した年、すでにエルサレムの美術館から何者かによって盗み出されており――。
これは、失われた骨董品と古書をめぐるミステリーであり、犯罪小説であり、十八世紀の天才が遺した形見函にまつわる歴史小説であり、コレクター小説であり、騙し騙されのコン・ゲーム小説であり、図書館という知の迷宮を舞台にしたコミック・ノベルでありと、さまざまな読み心地が味わえる小説好きなら夢中になること請け合いの傑作だ。〈絵を書くのは見る者/本を書くのは読者/タルトに味を与えるのはくいしんぼ/菓子職人じゃないんだよ〉、ジェスンが暗唱する戯れ歌が示唆するように、創作と批評、その密接な関係を考察するという自己言及性の高さも獲得。優れた現代文学になり得ている。驚くほどたくさんの伏線と仕掛けに満ちた贅沢な逸品なので、できれば姉編と併せてじっくり精読をば。
【この書評が収録されている書籍】
 
 さて、ジェスンの貴族的な物腰や豊かな教養に惹かれた〈ぼく〉は、「そんな胡散臭い男と関わるな」という妻の忠告を無視して、レファレンス能力をフル回転させ、ついに空っぽの仕切りの中に納められていたのが、名匠ブレゲがマリー・アントワネットのために製作した携帯時計だということを突き止める。案の定、ジェスンはそれを形見函の中に取り戻したいと言い出すのだが、当の国宝クラスの時計は、一九八三年、つまりジェスンが形見函をオークションで落札した年、すでにエルサレムの美術館から何者かによって盗み出されており――。
これは、失われた骨董品と古書をめぐるミステリーであり、犯罪小説であり、十八世紀の天才が遺した形見函にまつわる歴史小説であり、コレクター小説であり、騙し騙されのコン・ゲーム小説であり、図書館という知の迷宮を舞台にしたコミック・ノベルでありと、さまざまな読み心地が味わえる小説好きなら夢中になること請け合いの傑作だ。〈絵を書くのは見る者/本を書くのは読者/タルトに味を与えるのはくいしんぼ/菓子職人じゃないんだよ〉、ジェスンが暗唱する戯れ歌が示唆するように、創作と批評、その密接な関係を考察するという自己言及性の高さも獲得。優れた現代文学になり得ている。驚くほどたくさんの伏線と仕掛けに満ちた贅沢な逸品なので、できれば姉編と併せてじっくり精読をば。
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初出メディア

Invitation(終刊) 2004年11月号
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