自著解説

『芭蕉集 自筆本・鯉屋物』(八木書店出版部)

  • 2021/01/14
芭蕉集 自筆本・鯉屋物 /
芭蕉集 自筆本・鯉屋物
  • 編集:天理図書館(編集),大橋正叔(解説)
  • 出版社:八木書店出版部
  • 装丁:大型本(200ページ)
  • 発売日:2020-06-30
  • ISBN-10:4840695849
  • ISBN-13:978-4840695848
内容紹介:
【高精細カラー版】室町から江戸時代にかけて成熟した「座の文芸」の精髄を高精細カラーで複製!
芭蕉の高弟で後援者でもあった杉山杉風(さんぷう)の家に代々伝わった芭蕉関連資料は、杉山家の屋号から「鯉屋物」と称され、稀有な芭蕉真蹟(自筆資料)コレクションとなっている。その全貌を伝えるオールカラー版『芭蕉集 自筆本・鯉屋物』の解題を抜粋公開。

松尾芭蕉自筆の名品コレクション!「鯉屋物(こいやもの)」とは何か?

はじめに

本書『芭蕉集 自筆本・鯉屋物』は、天理大学附属天理図書館(以下、天理図書館)綿屋文庫が収蔵する「奥の細道行脚之図」、芭蕉自筆本六点、および、江戸下りした松尾芭蕉(正保元年[一六四四]~元禄七年[一六九四])の最古参の弟子であり、良き後援者でもあった杉山杉風(通称、鯉屋市兵衛)が蒐集し、代々が家蔵してきた芭蕉・杉風関係俳諧資料三十五点と参考資料一点とのカラー版影印集である。「鯉屋」は徳川幕府の御納屋鯉御用であった杉山家の屋号で、杉風は鯉屋二代目である。五代目の時家業を煙草商に転業し磯屋と屋号を変えるが、七代目が元の鯉屋市兵衛に改めている。「鯉屋物」の呼称は家蔵遺墨一括譲渡を機に全資料の総称として用いられている。「鯉屋物」三十五点が一挙に公開されるのは昭和五年刊『蕉影余韻』(伊藤松宇編)以来のことであり、精細なカラー版による刊行は初めてである。所載作品の紹介の前に綿屋文庫(わたやぶんこ)、および、「鯉屋物」について簡略な説明を記しておく。

 

綿屋文庫と鯉屋物

「綿屋」は天理図書館創設者である天理教二代真柱中山正善氏、中山家の屋号である。当初は中山家の私的文庫として綿屋文庫が設けられたが、連歌俳諧関係を主に近世文学資料に特化した文庫となったについては、天理図書館草創期に天理高等女学校教諭であった杉浦正一郎氏(のち、九州大学教授)の勧めによること、加えて、俳書が天理教教祖の時代の文化所産でもあることから中山正善二代真柱が蒐書への後援をなしたことなどが伝えられる。昭和十二年四月天理教教会本部設置五十周年記念展での文庫展示を機に綿屋文庫は天理図書館に寄贈されるが、これらの事情については、同館司書研究員木村三四吾氏の「綿屋文庫源流略」(『ビブリア』四六、一九七〇年一〇月)に詳説する。

昭和二十九年四月には、別途目録作成の為に留め置かれていた一万点、二万冊の連歌俳諧書を掲載する『綿屋文庫連歌俳諧書目録』が刊行され、充実したその蒐書が公開される。さらに、版本中心に進められてきた蒐書も真跡や周辺資料へと範囲を広げていき、その一つとして昭和三十八年七月に「鯉屋物」が所蔵され、芭蕉自筆関係が充実する。昭和六十一年六月には『綿屋文庫連歌俳諧書目録 第二』も刊行され、その後も蕪村関係資料など継続的な蒐集はなされ、現在は三万冊を越える蔵書となっている。


鯉屋物の成立―杉風の蒐集から芭蕉遺産へ

鯉屋物は、杉風(正保四年[一六四七]~享保十七年[一七三二])の遺墨を除き、杉風一代で蒐集されたものと考えてよいと思われる。杉風は杉山氏、代々市兵衛を名乗る、別号、荼舎、採荼庵、蓑杖等。芭蕉より三歳年下であるが、芭蕉が大阪で死の直前に支考に代筆させた「遺状」に「杉風へ申候。久々厚志、死後迄難忘存候。不慮なる所に而相果、御暇乞不致段、互に存念無是非事ニ存候。弥俳諧御勉候而、老後の御楽ニ可被成候」と遺言をするほど両者の絆は深く、芭蕉が最も信頼を寄せた盟友であった。芭蕉が寛文十二年(一六七二)に江戸下りした時、最初に寄寓したのが杉風の父仙風の下であったとの伝えもあり、また、深川の芭蕉庵を提供し、芭蕉の江戸における活動の始終を身近に見てきた人物でもある。しかも、杉風は芭蕉直門の其角、嵐雪、去来、許六等が亡くなっていく中で、八十六歳と長命を保ち、芭蕉昵懇の長者として芭蕉を顕彰する立場となる。絵画は狩野昌運の門葉(『古画備考』巻四十二)であり、杉風が描く「亡師芭蕉翁之像」(早稲田大学図書館蔵)が後々まで芭蕉像の範とされ、鯉屋物にも四点の芭蕉像が残されている。

鯉屋物の芭蕉遺墨は、芭蕉への敬慕と想い出を込めた品々であり、顕彰と保存に努めた芭蕉遺産であったといえよう。

 

特別な逸品六点

杉山家で代々に伝えられた芭蕉遺墨二十二点は、杉風の思い入れの深い、芭蕉自身から杉風に譲られたものと考えるのが自然であろう。特にその中でも、次の六点については、杉風の手元に置かれていることに、他の発句短冊や色紙等とは異なる意味合いがあるように思われる。六点いずれも鯉屋物の中でも逸品ばかりである。

 一、「ほろほろと」発句画賛 芭蕉筆・許六画

 二、「葛の葉の」発句画賛 芭蕉筆・画

 三、「朝顔に」発句画賛 芭蕉筆・朝湖画

 四、「あかあかと」発句画賛 芭蕉筆・画

 五、「みのむしの」発句画賛 芭蕉筆・朝湖画

 六、「鉢たゝき」発句画賛 芭蕉筆・画

これら六点については、所持することによって、芭蕉と杉風との関わりに加えて、他の人物への懐旧の情を杉風に呼び起させるものだからである。

一、「ほろほろと」発句画賛は、芭蕉から「画ハとつて予が師とし」(「許六離別詞」)と称えられた許六画への賛であり、許六と芭蕉との交誼を表わす。二、「葛の葉の」発句画賛は芭蕉自画賛であるが、この句については『許野消息』(嘯山編、天明五年[一七八五]刊)に「此句ハ一たび嵐雪が翁にそむきし事の直り侍る時に幸に書て遣ハされ候句也」と伝えられるように、芭蕉と嵐雪との師弟関係を語る逸話が加わる。三、「朝顔に」発句画賛は朝湖(英一蝶)画であるが、芭蕉の発句「朝顔にわれは食くふおとこ哉」は『みなしぐり 下』に「角カ蓼蛍ノ句ニ和ス」と前書きするように、其角の「草の戸に我は蓼くふ蛍かな」(『みなしぐり 上』)に唱和した句であり、両者の交歓の強さを伝える。朝湖は蕉門というよりは其角と特に親しい仲である。四、「あかあかと」発句画賛は芭蕉自画賛であるが、この軸には他にない杉風の添書があり、「末々迄調法いたし可申也」と、芭蕉遺品中杉風秘蔵のものとの思いが込められている。五、「みのむしの」発句画賛は、この句の誘いから素堂著「蓑虫説」が作られ、その二人の交歓に感じ入った朝湖も画で加わり、芭蕉著「蓑虫説跋」へと繋がる、芭蕉と素堂と朝湖との風雅な交遊を記念する。六、「鉢たゝき」発句画賛は芭蕉自画賛であるが、句は京都嵯峨の去来亭で、明け方まで去来と共に鉢たたきを待って読み得た、去来との間で共有する趣が伝わるものである。このように右に挙げた六点は、芭蕉を偲ぶだけではなく、芭蕉没後も蕉門を支えてきた芭蕉に近しい弟子たちと芭蕉の交流のありさまを思い出させる芭蕉遺墨でもある。右に挙げた人たちの没年は、

 芭蕉は元禄七年(一六九四)十月十二日没、五十一歳。

 去来は宝永元年(一七〇四)九月十日没、五十四歳。

 其角は宝永四年(一七〇七)二月二十九日没、四十七歳。

 嵐雪は宝永四年(一七〇七)十月十三日没、五十四歳。

 許六は正徳五年(一七一五)八月二十六日没、六十歳。

 素堂は享保元年(一七一六)八月十五日没、七十五歳。

 朝湖は享保九年(一七二四)正月十三日没、七十三歳。

と、長命で享保十七年(一七三二)六月十三日八十六歳で没した杉風を残して、芭蕉翁はいち早く、さらに同門の者たちは先立ってしまう。江戸参府中の元禄五年(一六九二)八月に入門した許六、貞享三年(一六八六)冬に江戸に来た去来、江戸住でない二人とも杉風は顔を合わせているはずである。五歳年長の素堂、三歳年長の芭蕉を除いて、自分より若い人たちを見送り、蕉門初期の気負いを知る者はいない。杉風にとってこれらの遺品は往時を偲ぶかけがえのないものとして身近に置かなければならないものであったことと思われる。

 

杉風の功績

杉風は、自身もいうように耳が不自由であったが、「去来ハ西三十三ヶ国の俳諧奉行なり。杉風ハひがし三十三ヶ国の俳諧奉行なりと、翁常に狂ふじ給ふとぞ」(『杉風句集』梅人序)と伝えられるほど、蕉門の膝元江戸における重鎮である。しかし、芭蕉あっての杉風、元禄七年五月刊『別座舗』以後目立った俳諧活動もなく、蕉門長老として芭蕉没後はその顕彰に努め、芭蕉遺墨の鯉屋物と共に晩年を過ごすが、その功績は後々まで受け継がれていくこととなる。

(本書「解題」より抜粋)

[書き手]大橋 正叔(おおはし ただよし)
天理大学名誉教授。近世文学。

〔主な著作〕
・単著
『近松浄瑠璃の成立』(八木書店、2019年)
『近世演劇の享受と出版』(八木書店、2019年)
・共編著
『近松全集 全17巻』(岩波書店、1985~1994年)
『新編日本古典文学全集 近松門左衛門集①~③』(小学館、1997~2000年)
『新版色道大鏡』(八木書店、2006年)ほか多数

芭蕉集 自筆本・鯉屋物 /
芭蕉集 自筆本・鯉屋物
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