書評
『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)
しんどいんだからズレちゃえばいい
この対談本がどういう本かといえば、世間とズレちゃうのはしょうがない、という本だ。そう、しょうがないのだ。しょうがないのに、生きていると、「少しは合わせろ」「そうじゃないだろ」などと、微調整や大胆な変更を強いられる。なぜか世間を背負っているつもりの人からあれこれ指図され、黙り込む。
世間とズレているという自覚を持つ二人だが、そのズレにはズレがある。伊集院は、ズレに怯(おび)えながらも「今はなんとか調整しつつ生きている」。養老は、「しょうがないと開き直って、開いた距離感で世間を冷静に見つめている」。
世間とズレていると、不安になる。その不安を察知されたくないから、闇雲(やみくも)に周囲と同調する。変化に動じないふりをし、「分かりません」がどんどん言い出しにくくなる。そして、何かと便利になればなるほど、その人間がどういう人間なのかが、隅っこに追いやられていく。
養老が、「『われわれ人間は何か』というと、もはやノイズなんですよ」という。いちいち意思を表明するよりも、記号として存在することが好まれる。「当の人間を外す」傾向が続いているのだから、「うちの猫に僕の健康保険証を持たせて行かせりゃいいんですよ」と笑う。
伊集院が、自分が企画を作るときのコツとして、「世の中で不便なものが便利になったときに、振り落とされたものは何か」を考える、をあげる。
最適化、効率化が進み、それが世間になると、合わせていくのがますます大変になる。こわばった笑顔で世間に調子を合わせてみても、やがて限界がくる。世間を突き詰めると、思うがままにふるまうことが一つずつ許されなくなる。合わせるのって、とってもしんどい。しょうがない、ズレちゃえばいいのだ。