書評
『医療倫理超入門』(岩波書店)
論理によって議論を点検する
本欄で扱う書物として、出来る限り邦人の著者の仕事を紹介しようと、翻訳ものは避けてきたつもりだが、本書の安楽死・自殺幇助を扱う第二章冒頭で、この議論をする際に「ナチスのカードを切る」ことは誤ったレトリックである、と断言しているのに出合って、評子も同じことを述べた覚えがあり、まことに我が意を得たりと思ったために、こうして取り上げることになった。ホープの単著で、二〇〇七年に同じ訳者で『医療倫理』として出版された(書肆(しょし)も同じ)旧版の増補改訂版。岩波科学ライブラリー収録の一冊だから、それほど大きな書物ではない。医療倫理に関して、なかで主題的に扱われている具体的なトピックスは、上掲の安楽死・自殺幇助のほか、第四章の胎児、生殖技術、第五章の精神疾患、第六章は認知症を題材に、介護・支援の問題、第七章は医療経済や医療較差、第八章は遺伝子解析という具合で、現代社会が医療の発展に伴って抱えている問題が、ほぼすべて論じられている。最終章は新規であるほか、各章の記述に増補が多く見られる。
最初に上に述べた「ナチス」という「切り札」に関して一言しておきたい。著者たちは、他の箇所でも、論述を進めるための手法として「論理」を常用するが、ここでも、議論に際して「あなたの見解はナチスとそっくりだ」、だから「あなたの見解は不道徳きわまる」として、安楽死や自殺幇助を封殺するレトリックが、如何に妥当性を欠くかを明確に示す。実際日本でも、安楽死の問題に「ナチス」を持ち出す論者は多く、それは「葵の紋章」の役割を果たして、議論を終わらせてしまう効果しかないことを、私はかねがね問題視してきたのである。過去の悪例を前車の轍(てつ)として戒めとすること自体は、決して誤りではないが、論点の所在は同じでも、そこへ赴く轍の道が同じであるとは限らないことを無視すると、暴論となることも、戒めとすべきだからだ。
もっとも評子は、欧米の多くの国々が解禁し始めた安楽死・自殺幇助の法的規制を、今すぐ、日本でも廃止すべきだとは考えていないことを、付け加えておきたい。
さて、本書の顕著な特色の一つは、倫理・道徳を論じながら、感情や情緒に訴えることを極力抑制し、用語の定義、概念整理と曖昧さの除去、そして徹底的に論理に訴える、という手法が採用されていて、かつ具体的な論議に直結する原則類をも整理した上で、その手法に基づいて、事例研究が多用されることにある。事例研究では、よく目にする幾つかの議論の方法を並べて、一つ一つ論理上の穴がないかどうかを検討していく。
その結果、読者は、倫理・道徳論にありがちな、特定の価値観を前提に、適当なレトリックに、情緒的な印象を加えて、恣意的な結論に導くようなやり方に接して感じざるを得ない苛立ちから、ほとんど完全に解放され、むしろ爽快感を味わうのではないか。
もちろん、人間の生死に関わることがらは、数学のように明確な論理的な議論だけで、すべて解決されるほど単純ではないだろう。しかし、それは、本書で行われているような作業の上に、初めて加えられる考慮であって、日本で行われてきた、最初から湿った、永久に交わらない空しい議論を排除する書の一つとして貴重。
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