書評
『ダムはムダ―水と人の歴史』(共同通信社)
人為の自然改造が復讐招く
ダムはムダとはよく言ったもの。本書の主張はこれにつきる。世界の四大文明は水を求めていずれも大河川の流域に生まれた。メソポタミア、エジプト、インドそして中国。しかし古代農民以来の利水技術と潅漑(かんがい)システムは、近代の技術者によって無視された。著者によれば「運河とダムとは、経済発展の力で自然の重圧をねじふせようとしてはたせなかった欲求不満の増大、思うままに風景をつくり替える能力をぐんぐん身につけてきた技術者の自信を、端的に示すものであった」。人類の歴史を水とのたたかいの中に見出す著者の議論は、近代の告発に性急のあまり、自他の論拠の別がやや混沌(こんとん)としている嫌いなしとしない。しかし、ライン川やミシシッピ川の例を引きながら、人為による自然の改造が、人智(じんち)をこえていかに自然による復讐(ふくしゅう)をもたらすかを説き続ける著者の姿勢は誠実そのものだ。
二十世紀はまさにダムの時代。巨大利水事業が、政治と経済の力の幸福な結合によって強力に推進された。ダムの前にはアメリカもソビエトもない。体制やイデオロギーの違いに関係なく、権力は進歩の象徴としてのダム建設に熱中する。とりわけアフリカが問題だ。エジプトはナセルのアスワン・ハイ・ダム。ガーナはエンクルマのアコソンボ・ダム。そして今またリビアのカダフィによるグレート・マンメイド(大人造)川。自然を近代化によって手なずけようとした結果が、漁場の喪失や塩害の到来ひいては生態系そのものの破壊にまで及ぶ。
いったいどうしたらいいのか。“The Dammed”という原題はまさに次の言葉を想起させる。“Damned”(「こん畜生!」)。ダムにせきとめられた人々の声だ。だが、手っとり早い解決策はない。ダムが近代政治のシンボルである以上、権力は次なる新たなシンボルを発見するまで、ダムを容易には手放さぬと、評者には思われる。
本書には日本の事例がない。訳者はそれを補う意味で著者へのインタヴューを試みている。これも面白い。しかし土建業の世界にまで踏みこんでの分析は、日本人に与えられた宿題に他ならない。平澤正夫訳。
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