書評
『『世界』主要論文選―1946-1995』(岩波書店)
戦後論壇支えた権威と情緒
昔「世界」という雑誌があった。無論今もある。しかし論壇と称するものの影が薄くなってしまった現在、かつてその中の最も有力な構成要素だった「世界」についても、やはり過去形として語ることに意味があろう。「世界」にどうスタンスをとるかで世代がわかってしまうほど、戦後五十年の中で「世界」が持っていた知的呪縛(じゅばく)力は大きい。ある世代にとってそれは無視することのできぬ絶対的権威であったろうし、別の世代にとってはそれを読むか否かが、リトマス試験紙の如き役割を果たしたのだから。
息苦しいまでのきまじめさ。本書全体から受ける印象は、まずこれだ。あえて誤解を恐れずに言えば、「世界」論文の最大公約数的特色は次のような点にある。すなわち大状況の規定から入るか、私的感慨から入るかの違いはあっても、アカデミックな主張と情緒的感性的な主張とを状況に応じて融合させ、一つの議論として組みたてる。
ではこうして組みたてられた議論における訴求力の巧拙は、執筆者個人の技量によるのか。こうしてまとめて読んでみると実はそうではない。やはり時代との適合性如何によるのだ。一九四五年の敗戦と戦後復興から、高度成長真っ只中(ただなか)の一九六五年前後までの二十年間、「世界」はもっとも生き生きとしている。
いったいそれはなぜか。今から見ると気はずかしいくらいの講壇的啓蒙(けいもう)主義の姿勢を、「世界」は堂々と真正面から打ち出し、受け手の側もそれをまっすぐに受けとめたからに他ならない。政治や行政を含めたもの言わぬがせっせと仕事をしていく現場の世界に対する緊張感を持ち続けることによって、「世界」もまた自らの居場所を確保しえたのである。
だが、論壇の主役という「世界」の自己認識がゆらぎ始めると、議論にのびやかさがなくなっていく。それを攻めから守りへと捉(とら)えることもできるだろう。
それにしても他の雑誌と比較した場合、みごとなまでの「世界」のモノトーンの魅力をあらためて認識させられたのは、この一冊があったればこそであった。
ALL REVIEWSをフォローする