書評
『幾山河―瀬島龍三回想録』(産経新聞ニュースサービス)
厚い年輪、“濃淡”残す回想録
あの瀬島龍三が回想録を出した。多年待たれていただけに用意周到、実に細かい配慮を施した二段組み五〇〇頁余の大著である。一身にして二世はおろか五世を生き抜いた瀬島のものだけに、細工は流々仕上げをごろうじろの感を深くする。そもそも五世とは何か、瀬島本人が軍人を志した青年時代、大本営参謀時代、シベリア抑留時代、伊藤忠時代、臨調時代の五期に自らの人生を区切っている。本書はそのすべての時代をカバーしてはいるものの、時期によって濃淡の差がはっきりと出ている。
圧巻は何といっても大本営参謀の時代だ。瀬島はおそらくこの半世紀の間に、自らの原点であるこの時期を何度も見つめ直したに違いない。したがって淡々たる回顧だけではすまず、侵略戦争か否かいうホットなイシューにも切りこむことになる。当時の判断と現在の判断とが完全には峻別(しゅんべつ)されず、いわばザインとゾレン(「あること」と「あるべきこと」)とが混然一体となった記述の中に、瀬島の年輪を見ることが可能だ。
またディテールに及ぶと、戦時中の岡田啓介との接触、昭和十九年秋の「心気症」による休養、二十年初のモスクワへの派遣に加え、シベリア抑留時代に入って強制労働に関するソ連軍との秘密協定の否定など、興味深い論点はすべて出揃(そろ)っている。瀬島のこれまでの論敵に、彼なりの反論を果たしたわけである。無論なお議論の余地は残るが。
これに比べると、伊藤忠時代の記述はあっさりしすぎて、続く臨調時代の縦横無尽の活躍ぶりとやや平仄(ひょうそく)があわない。いずれにせよ伊藤忠では一貫して業務畑を歩き、臨調では終始マトメ役を演じてきた瀬島にとって、戦後はまだ生々しくて語れない部分があることを示唆している。
全体を通じて登場する日本人に対する辛口のもの言いがまったくないのが特徴だ。逆に瀬島が言及する人物は、すべてが何らかの意味で評価されている。これは中傷と悪口を言われ続けた男の逆説的な意味でのダンディズムに他ならない。
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