書評
『昭和ナショナリズムの諸相』(名古屋大学出版会)
著作集未収録の論考1冊に
ナショナリズムの時代は終わった、と考えている日本人が多い。僕はそうではないと思っている。依然としてナショナリズムは日本人の自意識を解く鍵(かぎ)なのである。一九八三年、六十一歳で没した著者は、ナショナリズムの理論についての不当な偏見、誤った解釈に対しつねに異議を唱えてきた。日本ファシズム研究の第一人者・丸山真男の業績を引き継ぎながら、やがてその解釈への違和感を表明する方向へ進んで橋川的な昭和ナショナリズム観が成立する。本書の解説ページで筒井清忠も述べているように、丸山政治学の場合、明治の伝統的な国家主義がそのまま連続して昭和の超国家主義へつながっていったとされるが、橋川は大正中期から新しい種類のナショナリズムが台頭してきたと考えた。大正から昭和にかけて現れたテロリストたちの心情を分析すれば、そこには大衆社会のなか目的意識を見失った孤独な青年群像が透けて見えてくるはずである。
橋川は一九六〇年に名著「日本浪曼派(ろうまんは)批判序説」を著している。なぜ自分が日本浪曼派の虜(とりこ)となったか、という戦中体験の内在的解析を通じ、大胆に、浪曼派もマルクス主義も等価な体験なのだと言い切ってしまう。橋川のナショナリズム論は、当時、すでにポストモダンの視点を胚胎(はいたい)させていた。マルクス主義者や近代主義者にはその独特な論法は、ほとんど理解されなかった。僕の天皇制分析のある部分は、大学院でこのナショナリズム論を読破した体験に負っている。
亡くなって二年後、筑摩書房から「橋川文三著作集(全8巻)」が刊行された。だが残念なことに、いま著者の名前を知っている学生は少ない。本書は、一九六四年から七八年の間に発表された論考を集めたものだが、どういうわけか著作集や単行本に未収録になっていた。あらためて一冊に編んでみれば首尾一貫した形になるが、ここは編・解説者の努力と着眼を評価したい。
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