自著解説

『グローバル・ヘルス法―理念と歴史―』(名古屋大学出版会)

  • 2022/03/01
グローバル・ヘルス法―理念と歴史― / 西 平等
グローバル・ヘルス法―理念と歴史―
  • 著者:西 平等
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2022-02-10
  • ISBN-10:4815810567
  • ISBN-13:978-4815810566
内容紹介:
国際的な保健協力が目指す「健康」とは何か。その実現のために、どのような法や制度が創出されてきたのか。従来の国際法学を超えて、「社会医学」と「生物医学」の対抗関係を軸に、現在の世界保健機関(WHO)にいたるグローバルな「健康」体制のあり方を問い直す。パンデミックの時代に必読の書。
健康を実現するために、どのような法や制度が創り出されてきたのか。そもそも、健康(ヘルス)とはいかなる理念なのだろうか。――今年2月、国際法を専門とする西平等氏の最新著『グローバル・ヘルス法――理念と歴史』が出版された。著者の語る「グローバル・ヘルス法」とはいったい何なのか? 刊行によせて、書き下ろしの自著紹介を特別公開する。

グローバル・ヘルス法を語りはじめる

グローバル・ヘルス法が語られてこなかったのはなぜか

グローバル・ヘルスは、従来、法と結びつけて語られることがほとんどなかった。それには次のような理由が考えられる。

そもそも、保健政策は、義務と強制から、勧告と説得へとその重心を移してきた。強制隔離のような、公衆衛生を根拠とする強権的な措置は古い警察国家の時代に属する。20世紀においてはむしろ、正しい知識を伝達し、疾病の予防や治療を自発的に行うように説得することで、人々がより健康に生きる社会を構築できると考えられるようになった。法律が、説得よりは強制に向いた手段であることは言うまでもない。

国際保健についても、国境や港湾における検疫措置によって伝染病の国際的な拡散を抑え込もうとするのは、19世紀に属する古い政策である。世界保健機関(WHO)の時代においては、医療・保健水準の低い国々に対して支援を行い、現地の人々の健康状態を向上させることに重点が置かれるようになる。ところが、他国に対する積極的な援助を義務づけるということは、従来の国際法には馴染みにくい。したがって、政策方針を定める(法的な拘束力のない)勧告や宣言が出されることはあっても、国際保健協力に関する国際法規範が定められることはまれであった。

そして21世紀に入ると、インターナショナル・ヘルスからグローバル・ヘルスへの転換が進む。つまり、国家の保健当局と国際機関を中心とする国家間の枠組みから、民間財団やNGO、企業などの多様なアクターを含みこんだグローバルな枠組みへと変化してきたのである。新型コロナウイルス感染症における国際協力を担うCOVAXファシリティ[ワクチンへの衡平なアクセスを保証するための枠組み]もまたその一例といえる。国家間の関係を主軸に発展してきた国際法には、このような公私の連携によるグローバルな活動を把握するために使える道具立てがない。

グローバル・ヘルス法を語るべきなのはなぜか

他方で、グローバル・ヘルスは規範的な問題領域であり、規範的に考察しなければならない諸問題を伴う。以下では、そのいくつかを挙げてみよう。

そもそも、グローバル・ヘルスの実現目標であるところの「健康(ヘルス)」とは、いかなる理念であるか。人々に襲いかかる病をひとつずつ制圧してゆくことが健康の実現なのか。それとも、人々が健康を損なうことのない良好な社会的環境を作り出すことが目指されるべきなのか。

健康の実現はいかなる方法によるべきか。健康とは、人々が(その資力と余暇に応じて)自由に獲得すべき財であり、それゆえに効率的な市場によって配分されるべきものなのか。あるいは、健康とは、国家が責任をもって人々に保障すべき権利であり、それゆえに公的インフラを通じて、それを必要とするすべての人に提供されるべきものなのか。

保健プロジェクトの内容を決めるのは誰なのか。利用できる資源が限られている以上、先進的な研究機関において費用対効果が最も高いことが実証された手段を、世界中で一律に実施すべきなのか。それとも、嗜好も習慣も異なるさまざまな地域の人々の主体的な参加を通じて、措置の具体的内容を考案してゆくことが、その健康と福祉を真に向上させることにつながるのか。

健康あるいは保健の問題領域はどこまで広げられるのか。人々の健康を向上させるために、保健プログラムが社会的・経済的構造の改革に踏み込むことは適切なのか。保健措置の対象となり、強い干渉を受ける人々の私的領域はいかに保護されるべきか。病気のゆえに差別される人々、あるいは、差別されるゆえに病気に対して脆弱な生活を送る人々について、保健プロジェクトはいかなる支援を行うべきか。

これらの問いには、法律学として取り組むべき内容が確かに含まれている。だとすれば、グローバル・ヘルス法を語りはじめなければならない。では、私が語るべき「グローバル・ヘルス法」とはいったい何なのか?

グローバル・ヘルス法をいかに語りはじめるか

この本では、「ヘルスという規範的理念を、現にある世界において実現することを目的とする制度」としてグローバル・ヘルス法を定義している。とくに手の込んだ定義ではないが、無意味な同義反復というわけでもない。すくなくともこれによって、二つのものからグローバル・ヘルス法が区別される。それは、一方において、グローバル・ヘルスに関わる国際法規範群を列挙する作業ではなく、他方において、普遍的に妥当すべき保健規範に関する正義論的考察でもない。このような簡単な定義の下で、果たしてグローバル・ヘルス法の体系を描ききれるのかは、私自身もいまだ確信が持てないでいる。しかし、これを手掛かりにその歴史的な動態を把握してみようとすることは無意味ではあるまい。

最後に、自著を語るせっかくの機会なので、本には書かなかった秘密を告白しておこう。この定義の由来は20世紀の公法学者カール・シュミットにある。『国家の価値と個人の意義』の中でシュミットは、現実世界において規範を媒介するものとして国家を位置づけている。一般性を持った規範に裏づけられていない、単なる実力組織は国家ではない(山賊は国家ではない)。逆に、現実世界における実現のための仕組みを伴わない、単なる規範体系もまた国家ではない。規範と現実の間にある深淵を架橋し、媒介するものだけが国家と呼ばれうる。

このことは、グローバル・ガバナンスにも当てはまる。それは、グローバルに妥当すべき規範を、互いに対抗する利害と実力の渦巻く現実世界において媒介するものであり、その実現を目的とする制度がグローバル法なのである。このグローバル法は、国家法のように一般的な体系としては存在せず、(例えば保健協力のような)機能的領域ごとに発展してきた。したがって、その法体系は(例えばグローバル・ヘルス法のように)機能的領域ごとに記述されるのが適切だろう。

[書き手]西平等(関西大学教授)
グローバル・ヘルス法―理念と歴史― / 西 平等
グローバル・ヘルス法―理念と歴史―
  • 著者:西 平等
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(352ページ)
  • 発売日:2022-02-10
  • ISBN-10:4815810567
  • ISBN-13:978-4815810566
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国際的な保健協力が目指す「健康」とは何か。その実現のために、どのような法や制度が創出されてきたのか。従来の国際法学を超えて、「社会医学」と「生物医学」の対抗関係を軸に、現在の世界保健機関(WHO)にいたるグローバルな「健康」体制のあり方を問い直す。パンデミックの時代に必読の書。

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ALL REVIEWS 2022年3月1月

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