コラム

『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む』(文学通信)

  • 2022/03/25
未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む /
未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む
  • 編集:黒澤 勉,小松 靖彦
  • 出版社:文学通信
  • 装丁:単行本(252ページ)
  • 発売日:2022-03-24
  • ISBN-10:4909658718
  • ISBN-13:978-4909658715
内容紹介:
「今さら満洲開拓の是非論など何の値もしないが、その開拓者の生死とそれに関する事実を明らかにすることは、日本人として日本の歴史を動かしてしまった者として、当然明らかにしなければなら… もっと読む
「今さら満洲開拓の是非論など何の値もしないが、その開拓者の生死とそれに関する事実を明らかにすることは、日本人として日本の歴史を動かしてしまった者として、当然明らかにしなければならないと言うことが私の責任であるのだ」……第三部・「開拓忌三十三年」(堀忠雄)より

ほとんどの開拓団が悲惨な逃避行を体験することになったが、五福堂開拓団は現地住民の襲撃にあったものの、致命的な被害を受けることはなかった。それはなぜだったのか――。

満蒙開拓団の悲惨な歴史の中にあって、異彩を放つ移民団・五福堂開拓団の団長・堀忠雄の未刊の著作『五福堂開拓団十年記』をはじめて紹介する書。
五福堂開拓団は、ほとんどが未墾の土地に入植し、一部の既墾地については、現地住民がそのまま耕作を続けることを認め、現地住民たちとの間に良好な関係を築いた。それは堀の「日本人も中国人も農民は農民同士」という方針による。敗戦後、堀団長は、団員全員が生き抜くことを指針とした。ソ連軍による女性の供出要求もはっきりと拒否した。

常に理性的行動をとった堀の内側にあった感情のゆらぎの記録として、また、敗戦以前の五福堂開拓団の暮らしの記録として極めて貴重な書。堀は本書執筆の三年後の一九七二年、すべての公務を辞し(堀は敗戦後岩手県で開拓の指導に当たった)、かつての団員の訪問を開始した。『五福堂開拓団十年記』は、満蒙開拓団の歴史の真実を明らかにするための旅に先立ち、堀自身の心の整理を試みたものであった。

悲劇的な満蒙開拓団の歴史の中に、なおも存在していた人間の「可能性」を伝える新資料。「唄う村民にしよう。歌う村を創ろう」と、宮澤賢治に通ずる理想を掲げて開拓に取り組んだ堀の考え方と行動の背後から、満蒙開拓団の歴史にもう一歩近づくことができる。

■堀辰雄と堀忠雄

1930年代から40年代前半の戦争の時代、人間の「可能性」を示したふたりの堀さんがいた。小説家の堀辰雄(1904-1953)と新潟県派遣第六次五福堂開拓団長の堀忠雄(1910-2003)である。

この時代の歴史をひもとくと、戦争遂行や満洲農業移民などの大日本帝国の「国策」に巻き込まれた「国民」が、悲劇的運命をたどることに暗たんたる思いを抱く。しかも、「国民」は一方的な被害者ではなかった。多くの「国民」が進んで〈愛国者〉となり、戦争遂行に加担した。「満洲国」では、植民地の支配層としての差別意識を顧みることがなかった。さらに、「満洲国」で指導的立場にあった人々は、1945年8月のソビエト連邦軍の侵攻以後、わが身を優先し、多くの同胞の尊厳と命を犠牲にした。

堀辰雄と堀忠雄は、このような時代の流れに身を任せず、自分自身の生き方を貫こうとした人物である。とはいえ、ふたりは「国策」に対するヒロイックな「抵抗者」ではない。逃れようもない時代を半ば受け入れ、悩み苦しみ、それでもなお自分の信念を変えなかった。

ふたりの間に血縁関係はないが、私はともに「堀さん」と呼びかけたくなるのである。

 

■〈死〉を深く見つめた堀辰雄

芸術派・堀辰雄の戦争下の作品は、一見戦争とは無縁である。しかし、注意深く読むと、戦争による〈死〉をいたむ心がひそかに流れている。太平洋戦争末期には、古代の防人(さきもり)を主人公とする小説の構想も立てていた(ノオト「(出帆)」。筑摩書房版『堀辰雄全集』第7巻所収)。その小説には、当時兵士の理想像とされた“勇猛な防人”は登場しない。若い防人は、ひたすら魂のふるさとである「妣(はは)の国」(〈母〉なるものの国)を恋い慕うのである。

戦争を遂行する政府と軍は、「英霊」として祀(まつ)ることによって、若い兵士(特に特別攻撃隊員)に〈死〉を受け入れさせようとした。しかし、身近な人々の〈死〉を見てきた堀辰雄は、それが死者の魂の真の慰めにはならないことを知り尽くしていた。

堀辰雄は生活のために「国策」団体の「大日本文学報国会」に加わっていたが、ついに〈愛国小説〉を執筆することはなかった。

 

■堀忠雄の〈生〉の意志

堀辰雄が〈死〉の思想を基礎に置いて知性的に生きたとすれば、堀忠雄は〈生〉の意志によって困難な状況を生き抜いたと言える。私が黒澤勉氏とともにまとめた、堀忠雄『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録』に収めた堀忠雄の文章は、〈生〉の意志で満ちている。それが最も象徴的に表れているのは、「断固生キ抜クベシ」ということばである(「私は終戦にこう対処した」、本書205頁)。

1945年8月16日、堀忠雄は通北県(現在の中国黒龍江省北安市南部)の役所に呼び出されて、日本の無条件降伏を知らされた。その後、役所の離散会で痛飲し、五福堂開拓団本部へとふらつく足取りの中で、堀忠雄がたどり着いた結論がこのことばであった。

ただし、「生キ抜ク」のは自分だけではない。それは五福堂開拓団全員が無事帰国することを意味した。堀忠雄はこの方針のもと、ただちに新たな統治者である「満洲国軍」に降伏文書を記し武装解除した。間もなくソ連軍が通北県に到来。堀忠雄は抵抗せず帰服したが、越冬するために耕作が必要であることを静かに訴え、その許可を取り付けた。また、女性の供出要求はきっぱりと拒否した。

当時、多くの開拓団が、ソ連軍の攻撃と現地住民の襲撃を避けるために集団自決を選んだ。また、早く南に脱出しようとした開拓団は、逃避行中に飢餓と病に苦しみ、多数の死者を出した。現地で耕作を続け、現地住民からの襲撃も致命的なものとはならず、1946年9月に帰国を果たした五福堂開拓団は稀有(けう)の存在である。


■ともに生きること

五福堂開拓団を守りきった堀忠雄の〈生〉の意志が一朝一夕のものでないことを示すのが、新資料の『五福堂開拓団十年記』である。1969年頃に書かれたこの手書き本は、1937年6月の先遣隊入植から1942年10月までの五福堂開拓団の出来事を記している。

これによれば、堀忠雄がめざしたものは、「封建制」(身分差を伴う地主制とその因習)を乗り越え、各団員が自立して営農の主人公となる村造りであり、それは未墾地の開墾によって初めて成し遂げられるものであった。

もちろん堀忠雄も時代の子である。満洲農業移民を強引に推進した教育家・農本主義者の加藤完治に心酔し、『萬葉集』の「防人の精神」(当時の常識では、天皇のために国境をまもる勇武な精神)に強い共感を覚えていた。とはいえ、堀忠雄の〈ともに生きる〉という信念はそれを超える力を持っていた。しかも、そこには、小規模ながら土地を買収した現地の農民たちも含まれていた。堀忠雄は、同じ農民として彼らに接したのである。

ふたりの堀さんの軌跡は、近代日本の悲劇的歴史の中の一条の光である。そして、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から一変した世界を見極めるために必要な知性と信念とは何かを考えさせる。

[書き手]小松靖彦(こまつ・やすひこ)
1961年生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
青山学院大学教授。博士(文学)。著書に、『萬葉学史の研究』(おうふう、上代文学会賞、全国大学国語国文学会賞受賞)、『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書)、『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(角川選書、古代歴史文化賞受賞)、『戦争下の文学者たち--『萬葉集』と生きた歌人・詩人・小説家』(花鳥社)など。
未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む /
未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む
  • 編集:黒澤 勉,小松 靖彦
  • 出版社:文学通信
  • 装丁:単行本(252ページ)
  • 発売日:2022-03-24
  • ISBN-10:4909658718
  • ISBN-13:978-4909658715
内容紹介:
「今さら満洲開拓の是非論など何の値もしないが、その開拓者の生死とそれに関する事実を明らかにすることは、日本人として日本の歴史を動かしてしまった者として、当然明らかにしなければなら… もっと読む
「今さら満洲開拓の是非論など何の値もしないが、その開拓者の生死とそれに関する事実を明らかにすることは、日本人として日本の歴史を動かしてしまった者として、当然明らかにしなければならないと言うことが私の責任であるのだ」……第三部・「開拓忌三十三年」(堀忠雄)より

ほとんどの開拓団が悲惨な逃避行を体験することになったが、五福堂開拓団は現地住民の襲撃にあったものの、致命的な被害を受けることはなかった。それはなぜだったのか――。

満蒙開拓団の悲惨な歴史の中にあって、異彩を放つ移民団・五福堂開拓団の団長・堀忠雄の未刊の著作『五福堂開拓団十年記』をはじめて紹介する書。
五福堂開拓団は、ほとんどが未墾の土地に入植し、一部の既墾地については、現地住民がそのまま耕作を続けることを認め、現地住民たちとの間に良好な関係を築いた。それは堀の「日本人も中国人も農民は農民同士」という方針による。敗戦後、堀団長は、団員全員が生き抜くことを指針とした。ソ連軍による女性の供出要求もはっきりと拒否した。

常に理性的行動をとった堀の内側にあった感情のゆらぎの記録として、また、敗戦以前の五福堂開拓団の暮らしの記録として極めて貴重な書。堀は本書執筆の三年後の一九七二年、すべての公務を辞し(堀は敗戦後岩手県で開拓の指導に当たった)、かつての団員の訪問を開始した。『五福堂開拓団十年記』は、満蒙開拓団の歴史の真実を明らかにするための旅に先立ち、堀自身の心の整理を試みたものであった。

悲劇的な満蒙開拓団の歴史の中に、なおも存在していた人間の「可能性」を伝える新資料。「唄う村民にしよう。歌う村を創ろう」と、宮澤賢治に通ずる理想を掲げて開拓に取り組んだ堀の考え方と行動の背後から、満蒙開拓団の歴史にもう一歩近づくことができる。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

ALL REVIEWS

ALL REVIEWS 2022年3月25日

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
文学通信の書評/解説/選評
ページトップへ