書評
『寄り添って老後』(中央公論新社)
夫婦の年季
何度かお茶を淹(い)れるくだりがある。ふと、今年おいしいお茶を飲んだだろうか、と思った。香典返しに頂いたお茶かなんかを、ぞんざいに淹れてたな、ということが年の瀬になって急にくやまれた。沢村貞子『寄り添って老後』(新潮社)。著者は八十一歳で女優業の店仕舞い。「花のスターのうしろから、ときに応じてサッと枝を出したり、パッと葉をしげらせるはずの脇役が思うように身体が動かなければ――それでおしまい」。単純でいさぎよい下町女の判断である。そして老夫婦が向きあう日々が、身ぶり手ぶり豊かにつづられていく。
部品がくたびれて庭に放り出されたクーラーに我が身を重ねて心痛む。よく見える眼鏡はシワもよく見える。「恐れ入れますけれどほんのちょっぴり誤魔化させていただきまして」と薄化粧して夫の散歩の帰りを待つ。ぬか漬けの残り少しも捨てられない。テレビを見ればトーク番組の早口に驚く……。遠慮深い声なのに、老夫婦の生活の視点が、今のこの国のさまざまなおかしさをうつし出す。
きっと著者は捨てることが上手な人なのだろう。モノはもったいないと大事にしながら、この心の切り離れのよさ。女優をやめて白髪は染めなくなった。女優時代の着物は人にあげた。海の見える所に住みたいとの夫の願いに応えて、長年住み慣れた家を離れた。
そして残ったもので楽しむ。生き甲斐ではなく「いまの私を支えてくれるのは、ほんの小さな張り合いである」。
そんな簡素なくらし、老夫婦のいたわりあい。骨は目の前の海にまきたい、という夫に「そうよ。ここなら毎日、逢っていられるのにねえ」という妻。
活字も大きく、持ち重りのする本ではないが行間に充足する。さぞかし老いを生きる方々を励ますことだろう。著者の半分しか生きていない私も教えられ、励まされた。異世代コミュニケーションの名手とは、自分にきびしく他人にやさしい人のことらしい。
【単行本】 【文庫旧版】
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