書評

『道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか』(ポプラ社)

  • 2022/05/24
道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか / 高橋 秀実
道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか
  • 著者:高橋 秀実
  • 出版社:ポプラ社
  • 装丁:単行本(327ページ)
  • 発売日:2022-03-16
  • ISBN-10:4591173267
  • ISBN-13:978-4591173268
内容紹介:
小・中学校の正式教科となった「道徳」。いったい何を学ぶの? ヒデミネさんが独特の視点でニッポンの道徳を考察する傑作ルポ!

髙橋流、現代日本社会の解析

著者髙橋秀実(ひでみね)は優れたノンフィクション作家である。現代日本社会のさまざまな局面について、その実情を伝える。今回は小学校の道徳教育が主題である。しかし、それが将棋倒しのように次々に発展して、政治家の発言、ハラスメント、スマホ、ロボット、エコバッグなどに及ぶ。話がつながっていないようで、じつは現代日本社会のあり方が、道徳の教科書で教えられる表現に直結していることを知らされる。

著者の既刊作品は多く、『からくり民主主義』は基地や原発の町の実情をとらえた名作であった。『ご先祖様はどちら様』は第十回小林秀雄賞を受賞している。今回もそれらに劣らぬ優れた作品で、現代日本の道徳的思想(そんなものがあるとすれば)の淵源(えんげん)を解明する。

著者の文章は平易で、語り口は軽妙、道徳という主題から想像されるかもしれない堅い論調はまったくない。今回なぜ道徳を主題として取り上げたかについて、著者は「あとがき」で妻に勧められたから、とサラリと記す。これは大変よくわかる動機で、私も文筆業という似た立場なので、家内の方面から持ち込まれた仕事の依頼は断じて断らない。理由はあえて言うまでもないであろう。国際政治に限らず、憲法第九条を引用するまでもなく、平和こそが日常生活を維持する上において、もっとも大切なものだからである。

冒頭の「1限目」から「3限目」は小学校の道徳教科書の内容から基本的な要素を抽出する。著者はそれらを読むだけではない。道徳の授業参観までする。さらに道徳という科目について、子どもたちと専門家の意見を聞く。

子どもたちは道徳の授業を嫌っていない。たかだか「ふつう」だという。おそらく通常の科目と違って、達成度のようなものが想定されていないからだと思われる。私は小学校二年生で終戦だったから、それまであった修身という科目が消え、その後はカトリックのイエズス会経営の中学高校で「社会倫理」という科目を教わった。にもかかわらず、いまだに倫理と道徳の区別もつかない。ちなみに本書には倫理という単語は出てこない。

「5限目」は政治家並びに自民党を対象としており、「耳障りな発言」という項で感心したのは、「菅義偉内閣総理大臣(当時)の話を聞くと、なぜこんなにイライラするのか」の分析だった。著者は前総理の発言には「を」が多いと指摘する。「決定いたしました」と言えばいいところを「決定をいたしました」と言う。後者では「だれが?」という疑問が当然残るわけで、聞き手にすっきりしない気持ちが残って、ついイライラするわけである。総理の発言となると、だれでもその内容を重視するから、もっぱら内容を捉えようとする。しかし発言は内容を載せる形式であって、その形式が壊れていると、不快に感じるのである。これは理屈ではなく感覚の問題だから、論理による説明ではなく、同意を求めるしかない。

さらに自民党の綱領や党歌まで引用される。それでわかることは、自民党はまさに道徳という科目で教えられる原則ほぼそのままの党是を持つ政党だということである。自民党が長期政権を維持しているのは、それが日本そのものだから、と考えざるを得なくなる。この章は「カチカチなファンタジー」と題されているが、その正確な意味については本書を読んでいただくしかない。

私は髙橋秀実の諸著作を日本独自の社会学と考えている。ある社会を論じようとするなら、その議論の立脚点はどこかという問題が生じる。日本ではそれを欧米に置くのが通例だったと思う。それを避けるには、二つしか方法がない。一つは人類に普遍的な独立の立場を探すことで、それは身体つまり脳だろうというのが私の最初の思い付きだった。しかし、最近の脳科学の結果では一般的な解答が出るのではなく、脳の働きは個人によってさまざまだという当然の?結果になりつつある。もう一つは日本を日本という立場から論じるもので、本居宣長がそうであったように、髙橋秀実の作品は基本的にそれに近いものだと思う。

本書は最後に「みんな」と「いい人」という鍵言葉に集中していく。その視点からNHKや小室眞子さんの話が好例として取り上げられる。日本の現代社会を日本語という唯一の方法を用いて、丁寧に解析していく。これが髙橋秀実流の日本社会学である。

髙橋流が「学問」なり「科学」と見なされないとすれば、既成の客観的方法論に従っていないと見られる面が大きいからであろう。インタビューの結果は文章で記され、対象の選定は恣意(しい)的というしかない。いわゆるビッグ・データの逆を行くわけである。しかし、その既成の客観性なるもの自体が日本の外部からもたらされたものであるとするなら、髙橋流の解析はそれとして大きな意味と価値があるといえよう。現にわれわれ自身が住んでいる社会の基本を、われわれ自身が把握する方法を見つけて、その合意の上で議論を進めていくしかないと私は思う。
道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか / 高橋 秀実
道徳教室: いい人じゃなきゃダメですか
  • 著者:高橋 秀実
  • 出版社:ポプラ社
  • 装丁:単行本(327ページ)
  • 発売日:2022-03-16
  • ISBN-10:4591173267
  • ISBN-13:978-4591173268
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小・中学校の正式教科となった「道徳」。いったい何を学ぶの? ヒデミネさんが独特の視点でニッポンの道徳を考察する傑作ルポ!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2022年5月14日

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