書評
『怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史』(講談社)
ポストモダンを創始した「愚帝」?
『居酒屋』や『ナナ』で有名なゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」は十九世紀小説の一つの到達点だが、この大作には「第二帝政下の一家族の自然的・社会的歴史」という副題がついている。この小説がしめすように、第二帝政とは、技術と進歩の時代としての十九世紀の総括であるとともに、十九世紀的近代がその後どのようにポストモダンなる時代へと変質していくかを示唆する、興味津々の移行期でもある。本書は、この時期の主役であるナポレオン3世(一八〇八~七三)の生涯をとおして、第二帝政(一八五二~七〇)のもつ現代的な意義に迫った歴史評伝の力作である。
ナポレオン3世といえば、ナポレオンの甥(おい)という虚名を利用し、陰謀とクーデターで独裁者に成りあがり、第二帝政(ナポレオン帝国の再現という意味だ)を築いたものの、普仏戦争では、開戦から二カ月たらずで敵軍の捕虜になって自滅した愚帝というイメージがある。とくにマルクスの悪口のせいで、ナポレオンのお笑い版パロディーという評価がわが国でも根づよい。
だが、鹿島茂はこうした左翼的な見方を、何かにつけて善玉と悪玉を峻別(しゅんべつ)する「プロレス」史観として排除する。一方、鹿島史観では、ナポレオン3世は世界最初のイデオロギー的君主であり、彼は民衆生活を向上させるために社会全体の変革をめざしていた! 実際、彼が三十六歳で著した書物は『貧困の根絶』と題され、『共産党宣言』より四年も早く、労働者階級の権利と未来、生活の向上を強く主張していた。
ナポレオン3世はサン=シモン主義の研究者だった。この思想はマルクスによって空想社会主義と片づけられたが、鹿島茂はむしろ加速型の産業資本主義だと考える。ナポレオン3世は、労働者の福祉施設の建設や、パリ大改造などを通じて、物流を循環的に活性化し、スパイラル状に社会的富を増大させるというサン=シモン主義の理念を実現してしまったのだ。
たとえば、パリを世界で最も美しい都市にした改造事業は、国家的な「地上げ」で工事費用を捻出(ねんしゅつ)したという点で、高度資本主義下における日本の都市改造の先駆であるともいえる。これはバブル的施策ではあったが、いまでも世界中から人を集める現在のパリを歴史に残した。
そのバブルの上で、デパートに象徴される消費経済社会が成立する。第二帝政は史上はじめて、消費を必要から快楽へと変容させた社会だった。消費そのものを目的とする消費という新たな経済のスタイルを開いた点で、ポストモダンの出発点がここにあるとも考えられる。
何を考えているか分からない皇帝だったからこそ、近代の分かりやすさとは異なる、私たちが生きる近代以後の分からなさを体現できたのかもしれない。数々の政策の失敗をこえて、そんな感慨をさそう不可解な皇帝なのである。
朝日新聞 2005年1月16日
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