地域の歴史解明への意欲的報告
各地で地域おこしのシンポジウムが盛んである。多くは、ひと時のイベントで終わってしまうが、時には本として出版され、われわれの目に触れることもある。そのなかにはどこにもよくある内容で、開催したことを確認する程度のものもあれば、時に興味深いものもある。
本書は四年前に秋田県小坂町で行われたシンポジウムの記録である。もう四年もたつと内容が古くなり、記録として役にたたないことも多いのだが、本書にはそれがない。当日の記録のみならず、その後の研究の成果がうまく盛り込まれているからであろう。
討論も活発で、当日の雰囲気がよくうかがえるようになっているのも興味深い。とかく討論になると、平板になりがちだが、白熱した内容でまことに面白い。
開催されたシンポジウムは、十世紀初頭にあった十和田火山の噴火を通じて、その周辺の北奥羽地域がどのような状況にあったのか、またどう変遷してきたのかを、秋田県鹿角地域を中心に考えようというものである。
噴火が起きたころには、この地域は古代日本の領域にはまだ編入されておらず、擦文(さつもん)文化の人々の領域に属していた。
したがって文献史料は無きに等しいのだが、にもかかわらず十和田噴火が延喜十五年(九一五)八月十七日に起こったことを、『扶桑略記』という仏教歴史書がきちんと記していたのである。国境の近くのことで関心が高かったのであろうか。
その点で噴火にともなう火山灰の堆積や分布からの考古学的な情報はきわめて貴重である。当時の状況がどうだったのかは発掘からしかよくわからないからである。高橋学「十和田火山とシラス洪水がもたらしたもの」は、この点を明らかにした報告である。
次に大矢邦宣「古代北奥への仏教浸透について」は、十和田火山以後の文化的な状況を仏像のありかたから考える。不思議なことに北緯四十度から北には、岩手県の天台寺をはじめとして特徴的な仏像が広く分布しており、その性格に迫ることで地域の特質を考える。
文献中心の歴史学の分野からは、中央への報告と地名などを手がかりにして進められることになる。北奥地域を舞台にして相次ぐ兵乱や合戦をとりあげて、解明が試みられた。
まずこの地域の武士の段階的な成長を、義江彰夫「王朝国家と武士の成長」が長期的な展望のもとに探り、続いて十和田火山噴火前の兵乱である元慶の乱の性格について、鐘江宏之「元慶の乱と鹿角・津軽」が丁寧に考察する。
さらに十一世紀に起きた北奥での合戦について、入間田宣夫「延久二年北奥合戦と清原真衡」がその存在と歴史的意義を強調すれば、この入間田説を真っ向から批判しつつ、北奥地域の歴史的な発展の様相を、斉藤利男「安倍・清原・平泉藤原氏の時代と北奥世界の変貌」が広く捉えている。
それぞれ意欲的な報告で、新たな知見も豊富だ。最後の入間田・斉藤両氏の討議の内容を聞くにつけ、未解明なこの地域の秘めた謎を強く感じた。
さらに会場から多くの意見が提出されていることに、地域の関心の高さも感じられた。この種のシンポの意義や役割を思い知らされたのである。
ただシンポのテーマは「十和田湖が語る古代北奥の謎」であるが、討論は「十一世紀前後の北奥情勢と変容」となっており、内容にややずれがうかがえ、その点が少し残念なところである。