■謎の研究
「謎の研究をしています」。ときおり、掛け言葉のように自分の研究をこう呼ぶ。傍から見ていると何をやっているか分からない−−そのような研究をしている自覚がある。だが、研究対象がミステリアスなものというわけではない。説明すると話が長くなりがちなので、いつも好きな謎をひとつ挙げるところから始める。たとえば、落花人独立 微雨燕双飛
字一 倆
謎のお題にあたる一行目の「謎面(めいめん)」は、「花が落ちて独り佇み、二羽の燕が微雨の中を飛んでいる」という意味の漢詩句だが、オリジナルではなく、唐末五代の詩人翁宏(おうこう)の「春残」から取った成句である。二行目の「字一」は答えの範囲を示す「謎目(めいもく)」で、漢字一文字を当てることを指示している。そして、「倆」は謎の答え、専門用語では「謎底(めいてい)」という。
解き方を簡単に解説するとこうなる。「花が落ちて」はすなわち「落花」の二文字が消えてなくなる。それから、「独り佇む」情景を「人偏(亻)」で表しておく。「微雨」であれば、「雨粒」がほぼ見えないから、「雨」の字は「帀」のような形になる。その中に、燕尾の形に似た「入」を「二羽」入れて合体させれば、ほら、「倆」の字のできあがり。漢字の絵画的な構造性を利用したこの謎は、清末の長編小説『品花宝鑑(ひんかほうかん)』に書かれている。
わたしが研究している〈燈謎〉は、基本このような形をもつ謎で、漢字の音・形・義を材料に創作され、解くには一定の教養が要求される。いわば読書人向けの文字遊びだったため、「文人の遊戯」とも言われていた。
■「なぞなぞ」とは一線を画す遊び
しかし、紛らわしいことに、燈謎は最初からこのような文学ジャンルを指す用語ではなく、本来、小正月や中秋節などの祝祭日に、燈籠に謎を掲げ、人を集めて謎解きゲームをする民俗行事を指すことばでもある。それに、民俗行事である燈謎イベント用の謎はもともと、〈文義謎(ぶんぎめい)〉と〈事物謎(じぶつめい)〉の両方が含まれる。事物謎とは、物や事の特徴などを述べてその事物の名を当てさせる謎で、いわゆる「なぞなぞ」である。誰もが知っているあのスフィンクスの謎かけ(「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。この生き物はなにか」「答え:人間」)もそれに該当する。ところが、清代以降になると、「燈謎」ということばは次第に文義謎、すなわち上記の例のような文学的な謎に限定して用いられるようになった。
このような線引きによって、燈謎は漢字文化圏に特有の文字遊びとして認識され、世界中に見られる普遍的なことば遊びである「なぞなぞ」と一線を画した。ただし、これは厳密な定義ではなくて、いわゆる謎人(めいじん/燈謎創作者のこと)らが提唱する分け方にすぎず、しばしば議論を呼んでいる。
■時代を超えて変化する遊戯
さらに、漢字文義謎としての燈謎には、〈古体(こたい)〉と〈今体(きんたい)〉の2大スタイルがある。冒頭に挙げた例は今体に該当するが、『明末日用類書燈謎選集(みんまつにちようるいしょとうめいせんしゅう)』に収録されているものはほとんど古体である。比較すればわかるように、古体は雑体詩の系統を引いていて、詩として完成させるために、謎面文意の一貫性が重視され、謎解きに使用しない文字が往々にして含まれる。それに比べ、今体の謎面は短く、文意を補完するためだけに使われる「剰字」は排除され、広く読まれてきたテクストを借用してそのまま謎面にするものが多い。中でも、成句の謎面で成句を当てる作風がとくに推重されていた。明末日用類書などによる古体謎の普及を経て、清代以降の燈謎は、民俗行事や宴会の場における余興という姿から徐々に離れ、漢字の特徴や典故成句をいかに巧みに利用して作謎するか、謎の出来栄えを作り手同士で競い合うためのものへと変化した。〈謎〉というレンズをとおすことで、熟知のテクストを正統的な読解から逸脱させる遊び。「謎人」というアイデンティティーは、そこから芽生えたのではないか。
■解き明かしたいほんとうの「謎」
筆者の父もそのような謎人の一人である。本書のあとがきにも書いたが、この研究を始めたきっかけは、父とその友人たちが見せた燈謎に対する熱狂ぶりだった。あの情熱の出どころを知りたかった。わたしにとって、ほんとうに解き明かしたい「謎」はそこにある。本書の執筆中は二度台湾に行った。一度目は二週間にわたる資料収集の旅で、一人で行ったからか、不思議なほどに、いままでの人生で感じたことのない孤独に襲われていた。ことばにも街の雰囲気にも馴染みがあるはずなのに、懐かしさすら感じていたのに、なぜそれほどまでに寂しかったのか。二度目はその一年後、台湾の謎社(めいしゃ/燈謎の創作者である「謎人」による結社)について研究発表をしに行った時で、向こうの研究者たちとも知り合って、いつしか孤独感は跡形なく消えていった。いま思うと、台湾に渡ったばかりの頃の「外省謎人」たちも、似たような感情の変化があったかもしれない。謎をかけるのも、謎を解くのも、相手が必要だからだ。独り佇むより、微雨の中で戯れたい。
娯楽が溢れている現代を生きる人々は、文字遊戯がもたらす知の愉しみと心の慰めに、どれくらい共感できるだろう。本書をとおして、たゆたいながらも時代の激流をくぐり抜けてきた、この悠久なる遊び場へといざないたい。
[書き手]
呉 修喆(Wu Xiuzhe/ご・しゅうてつ)
1983年中国浙江省生まれ。華東師範大学日本語学科卒業。復旦大学中文系文芸学専攻修士課程在学中に、國學院大學文学研究科伝承文学コースに一年交換留学。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。帝京科学大学非常勤講師、国立文化財機構奈良文化財研究所アソシエイトフェローを経て、九州大学言語文化研究院助教。研究分野は漢字文化史、地域文化研究。