校訂・注釈本作成プロジェクト
島根県古代文化センターは、島根の歴史文化を調査・研究し、その魅力を全国へ発信することを目的に、1992年に誕生しました。「島根の歴史文化」と聞いて皆さんがイメージするのは、荒神谷遺跡から大量に出土した青銅器や、出雲大社なのかもしれません。しかし、『出雲国風土記』という史料もまた、島根の歴史を知る上で欠かすことのできないものです。『出雲国風土記』とは、733年に成立した出雲国の地誌で、地名の由来や神話伝承などが記されています。当センターでは、この『出雲国風土記』を対象に調査・研究を継続して行ってきました。全国を飛び回って調査した風土記写本の数は100点を越え、その調査結果の公表、そして撮影した写本写真の公開を徐々に進めています。2010年代に入り、来たる古代文化センター誕生30周年を目途に、『出雲国風土記』の注釈書を刊行しようという機運が高まります。こうして立ち上がったのが、『出雲国風土記』校訂・注釈本作成プロジェクトでした。このプロジェクトが実際に動きだしたのは2014年のこと。そこから外部の先生方にも加わっていただきながら、何度も何度も編集会議を開催してきました。ときには一つの語句の解釈をめぐって数時間頭を悩ますこともありました。その結果、注釈だけでも200ページ以上となり、これに加えて本文や読み下し文、関連論考も収録した700ページをこえる一冊が完成しました。
細川家本を底本とした校訂本文
注釈を施すにあたって、まずは風土記の本文を確定させなければなりません。そのためには、基本となる「底本」を定め、その他複数の写本と比較してどの文字が正しいのかを導き出す、校訂という作業が必要です。『出雲国風土記』の写本は、脱落本系写本と補訂本系写本に大別できます(写本系統については本書の髙橋周氏論文を参照されたい)。風土記の注釈書として現在でも確固たる地位にある秋本吉郎校注の『風土記』(日本古典文学大系、岩波書店)は、補訂本系の三手文庫本『万葉緯』を底本にしています。しかし、現在の研究状況からいえば、書写年代が判明する最古の写本である細川家本(1597年書写)を底本にするのがふさわしいといえるでしょう。本書では、できるかぎり細川家本の文字を生かした校訂本文を提示しています。
一例をあげてみましょう。飯石郡の堀坂山には「有枚松」と記されています。この「枚」について、補訂本系写本では「杉」となっていることもあり、これまで「杉」と校訂され、堀坂山に杉や松がある、と解釈されてきました。しかし本書は、堀坂山の周辺に「枚田村」があったことが他の古代文献から判明すること、「枚」は「牧」と通用していたことなどから、底本のとおり「枚」とし、馬などを飼育する牧があったとする理解を提示しています。このように、安易に文字を改めることをよしとせず、底本で解釈できるものはそれを尊重する姿勢を本書では旨としました。
原本の姿を求めて
細川家本を尊重するということとも通じますが、本書は天平5年(733)に成立した風土記原本の状態に近い形に復元することを目指しました。そのため、いかに不自然な記述であったとしても、それが原本にも存在したと想定される場合は、修正することなく記しています。ともすると私たちは、「天平5年に完成した『出雲国風土記』の原本に誤りは存在しない」と考えてしまいがちです。しかしながら、そんな保証はどこにもありません。その一例を道路記載からみてみましょう。風土記には、①各郡部分と②巻末部分の2ヶ所に交通路の記載があり、経路と距離が記されています。ただし、①と②それぞれに同一経路が記されていても、両者でその距離が微妙に異なっている場合があります。たとえば、楯縫・出雲郡堺~出雲郡家までの距離について、①には「一十四里二百二十歩(14里220歩)」、②には「一十里二百二十歩(10里220歩)」と記されています。こうした不整合な記述について、②は本来「一十四里」とあったものが、書写の過程で「四」が脱落し「一十里」となったと考え、②を①と同じく「一十四里二百二十歩」に書き換えてしまう注釈書もありました。
しかし距離の考証を突き詰めていくと、風土記原本の段階から②は「一十里二百二十歩」であり、書写の過程での脱落は考えにくいことがわかったのです。②の記述は、実際の編集担当者のミスなのかも知れません。しかし、原本が「一十里」であったのであれば、それを改めてしまうのは現代を生きる我々の後知恵ともいうべきものです。あくまで天平5年時点の風土記原本の姿を復元するべきでしょう。
歴史学からの視点
本文が確定したのち、登場する語句に注釈を付していきます。その際特に重視したのは、歴史学における現在の研究成果を盛り込むという点です。これまでの注釈書は、文学的な観点からのものが主流でした。したがって、文学表現や神話などに注目が集まっていたのです。しかし古代文化センターのスタッフは主に歴史学を専門としますので、歴史学からの視点で風土記を解釈しようと試みました。例えば風土記では、各郡部分の末尾に郡司の名前が列挙されています。ここで位階に注目すると、「无位」の郡司が存在することがわかります。この「无位」、これまでの注釈書では「位のない者」などとごくごく簡単に説明されています。これは一般的な国語辞典を引いても同様で、決して間違った注釈ではありません。しかし、今日の歴史学からみるとこの説明ではやや不十分です。詳しくは本書の注釈を確認していただきたいのですが、「无位」は単に「位を持たない者」を示すのみではなく、「官人であること」を示す語句でもありました。すなわち、同じく位のなかった一般公民(古代では「白丁」と表現される)とは、截然と区別されているのです。ここに、「无位」と表記することの意味がありました。こうした歴史学における研究成果が存分に生かされた注釈になっている点が、大きな魅力といってよいでしょう。
以上、本書の特徴を簡単に整理してきました。新たな見解を示した部分も少なくありませんが、そういった場合でも、注釈では従来の研究を可能な限り記載するスタイルをとっています。そのため、これから風土記の研究をはじめようとする方にもおすすめできる一冊です。本書をきっかけに、『出雲国風土記』に関する豊穣な成果が生まれてくることを期待しています。
[書き手]橋本 剛(はしもと ごう)
1987年 埼玉県生まれ
2012年 慶應義塾大学文学部人文社会学科卒業
2021年 早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学
島根県古代文化センター特任研究員、島根県立古代出雲歴史博物館学芸員などを経て、現在島根県古代文化センター主任研究員。