本文抜粋

『タイミングの社会学: ディテールを書くエスノグラフィー』(青土社)

  • 2023/05/31
タイミングの社会学: ディテールを書くエスノグラフィー / 石岡 丈昇
タイミングの社会学: ディテールを書くエスノグラフィー
  • 著者:石岡 丈昇
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2023-05-25
  • ISBN-10:4791775562
  • ISBN-13:978-4791775569
内容紹介:
フィールドワークが世界の見方を変える——生きる時間のディテールをともに目撃し、ともに書くための理論と思想。
フィリピン・マニラのエスノグラフィーを描き出しながら、ユニークな時間論やケア論を展開する石岡丈昇(いしおか・とものり)さん。『現代思想』の人気連載が遂に書籍化!本書『タイミングの社会学――ディテールを書くエスノグラフィー』の刊行を記念して、「はしがき」の一部を公開します。

エスノグラフィーがひらくケアのかたち

本書の試みにおいて、特に注目するのが、マニラの貧困世界を生きる人びとが直面する困難な時間についてである。ボクシング・キャンプ、都心のスクオッター地区、人里離れた再居住地の事例が記されるが、それらを貫くものがあるとすれば、それは「アウェーの時間」とでも呼べるものだろう。フィリピンのボクサーは、日本で試合をするとき、敵地=アウェーのリングに上がることになる。アウェーで試合をすることは、大多数の敵陣応援団の前で戦うことだけを意味するのではない。減量中の身体を携えて長時間のフライトで異国に移動し、到着した空港から宿泊先までは、通行人に道を尋ねながら見知らぬ街を自力で移動する。減量中であっても摂取可能な食材を、現地のスーパーマーケットで苦労して探す。気候も違い、試合は予定時間には開始されず何時間も待たされる。ハプニングだらけなのである。ホームのボクサーが、運転手を伴って悠々と自動車で計量会場に登場するとき、アウェーのかれらはすでに数多のハプニングを経て消耗している。アウェーの時間とは、ホームに居る者が決して経験することもなければ、思い描くことすらないような絶えざるハプニングを引き受けなければならない時間だ。ホームの観客はリング上での戦いに目を向けるが、アウェーを生きる者はリングに上がるずっと前から別の戦いに直面している。

アウェーの時間を生きるのは、ボクサーだけではない。マニラのスクオッター地区で、住み慣れた家を破壊されて再居住地へと輸送される人びとも、アウェーの時間を強いられる。仕事、学校、人間関係、あらゆる条件が強制的に組み替えられ、今後の見通しが立たないまま、日々を凌がなければならない。マニラの都市再開発が進み、幹線道路や主要河川敷の整備が進む今日において生み出されている再居住者もまた、アウェーの時間へと放逐される。

けれども、本書のメッセージは、アウェーの時間を生きる人びとに同情することにはない。そうではなく、アウェーの側に置かれるからこそ、ホームに居る者が見ないで済ませている社会の根底的な成り立ちが見えてくる点が重要である。ホームに居ると考えずに済ませられることが、アウェーに在ると思考の対象になる。ハプニングに対処する中で練り上げられる強度がある。本書が目指すのは、こうした固有の位置性から社会学的思考を練り上げることである。方法としてのアウェーだ。

アウェーという言葉は、また、別のイメージをつくりあげることも可能にする。序章で言及したが、私の父は、中学を卒業後、貧しさゆえに高校に進学できず、その後、五〇年間にわたり自動車修理工として働いた。父は工場(〝こうば〞と読むか〝こうじょう〞と読むかで、ものの見え方は変わる。前者で読んでほしい)でたくさんの排気ガスを吸って最期は肺気腫で逝ったが、父の姿が私をして貧困や構造的暴力の考察へと向かわせた。学問の「が」の字もないアウェーの環境で育った私が、自分の生きてきた世界を対象化して掴まえなおそうとした軌跡が、本書には刻み込まれているだろう。

私にとって社会学は、自らの姿を(再)発見することを可能にする領域の呼び名である。序章では、マニラのスクオッター地区で、暗がりの部屋で過ごすロセリトについて書いた。ロセリトの経験は個的なものである。だが、社会学は、ロセリトをそうした状況に追い込む貧困という条件を照らし出しながら、ロセリトの経験に立ち返ろうとする。条件への遡行は、個的な経験が完全に個的なものではなく、そこに類的な性質が潜んでいることを表し出す。ロセリトの経験を書くことは、貧困下を生きる無数の「ロセリトたち」の経験を浮かび上がらせる。かれはわたしだ。個的経験を、類的経験へと接続しながら書くのが、社会学のエスノグラフィーである。

そうしたエスノグラフィーを書き残すことは、ケアをめぐる議論とも交錯する実践となるだろう。困難な時間に投げ入れられたとき、いかにしてその時間を凌ぐのか。ひとつのやり方は、その困難な時間が自分のみに唯一到来したのではなく、他の人びともまた同様の時間を経験したことがある点を知ることだろう。立ち退きの通達を受け取った者は、ひとりで圧力に向き合うことは難しい。だが、役場からの通達の送付が、これまで住人たちに対して採られてきた所定の圧力の掛け方であることを知ったとき、かれは局所的に縛り付けられた自らの視座を、より広いそれへと放つことができる。困難な時間が個的にだけでなく類的にも経験されているのだと理解すれば、その対処法も類的に――すなわち集合的な智慧を用いて――考えていくことが可能になる。そしてそれは、困難な時間をひとりで背負い込む人に、《あなたはひとりではない》と語りかけることでもある。

[書き手]石岡 丈昇
タイミングの社会学: ディテールを書くエスノグラフィー / 石岡 丈昇
タイミングの社会学: ディテールを書くエスノグラフィー
  • 著者:石岡 丈昇
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2023-05-25
  • ISBN-10:4791775562
  • ISBN-13:978-4791775569
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フィールドワークが世界の見方を変える——生きる時間のディテールをともに目撃し、ともに書くための理論と思想。

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