書評
『無垢の時代』(岩波書店)
男女の物語に時代の変化くっきり
一九九〇年代末からのいわゆるIT革命は、二十一世紀の社会を大きく変えてしまったが、アメリカの女性作家イーディス・ウォートンの代表作『無垢の時代』が描き出す一八七〇年代初頭のニューヨークでは、それに引けを取らないほどの大きな変革が少しずつ進行しつつあった。そうした変革は、文化や技術のみならず、社会構造をも変えていき、必然的に、その中で生きる人間が時代の大きな流れにどう対応できるかという問題を突きつけることになる。この小説の視点人物になっているのは、いわゆる「オールド・ニューヨーク」という旧家で構成される上流階級に属している、青年のニューランド・アーチャーである。彼にはメイという婚約者がいるが、かつての幼馴染で、いまではポーランドの伯爵夫人となったエレンと再会して、心が揺れ動きはじめる。エレンは夫と不仲になってオールド・ニューヨークの世界に戻ってきた女性だ。ニューランドは旧弊な価値観にどっぷり浸かりながらも、それなりに知性は持ち合わせていて、因習に縛られた世界にどこか息苦しさを感じている。そんな彼にとって、ヨーロッパの自由な空気を吸ってきた、いわゆる「新しい女」のはしりとも思えるようなエレンが魅力的に映ったとしてもおかしくはない。こうして、ニューランドがエレンを追いかけるという物語が稼働することになる。
ニューランドの視点を通してこの物語を追う読者には、『無垢の時代』は恋愛小説だと映るかもしれない。また、結局メイと結婚することになっても彼がまだエレンをあきらめきれないという展開から、これを『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』の系譜に連なる姦通小説だと読む読者もいるかもしれない。そのように思わせて読者を小説世界に引きずり込むのが、作者ウォートンの類稀なストーリーテリングの冴えである。
この小説のクライマックスは、エレンがヨーロッパへ発つことになり、送別会として妻のメイの発案で晩餐会が催される、最後から一つ手前の章だ。その席でニューランドは、そこに集まった人々がみな自分とエレンのことを「愛人」として見ており、二人の仲を裂こうと無言のうちに共謀していたことを突如として悟る。これはどんな恐怖小説よりも恐ろしい。
しかし、ウォートンに驚かされるのはそれだけではない。それに続く最終章では、前章とまったく同じ場所で、一気に二十六年が過ぎ去り、社会的には功成り名遂げても、まるで人生が勝手に目の前を通り過ぎていったような、初老のニューランドの姿が映し出される。時は一九〇〇年ごろの新世紀。書斎で茫然とたたずむ彼のもとに、成人して結婚を控えた息子から長距離電話がかかってくる。そこが心憎いほどうまい。電話は二十六年前の時代にはまだ実用化されていなかったのだ。そうして、ついにさまざまな束縛から逃れられなかった哀れな男ニューランドは、自由闊達な息子の世代へとバトンを渡すことになる。
男女の物語を巧みに描きながら、そこに時代の変化を歴史家さながらにくっきりと浮かび上がらせる『無垢の時代』は、二十世紀のアメリカ小説で間違いなく五本の指に入る傑作だと言っても過言ではない。
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