西欧思想を調理、従順な臣民レシピ考案
明治~昭和の知識界に君臨した井上哲次郎。その実像に若手の政治学者・杉山亮氏が肉薄する。井上は一八五五年生まれ。漢学を学び、英語に転じ、新設の東京大学でフェノロサに哲学や政治学を学ぶ。ドイツに六年余り留学して帰国すると、教育勅語の解説書『勅語衍義(えんぎ)』を著した。以後東大を拠点に、西欧思想を踏まえた日本思想や国体論の著作を発表、教育界にも絶大な影響を与えた。
井上哲次郎の名はもう忘れられかけている。だが彼は、近代日本の精神世界のいわば舞台監督。政府や学界や政界やメディアを股にかけたスーパースターである。
彼の先行者は加藤弘之だ。帰国した井上はさっそく論争を挑む。加藤は進化論に基づき優勝劣敗を説いた。たとえば戦争は国家の生存競争。まるで唯物論だ。対する井上は「現象即実在論」を説く。認識できなくても観念は《人間の脳裏に存在する》「実在」だ。利他心や道徳もそれである。国民統合は《不可知の形而上的な日本人の本然的な感性によって可能となる》。加藤でなく井上が修身などの教育プラン立案を担当した。
井上は何をしたか。西欧思想を取捨選択して材料を整え、隠し味を加えて調理した。従順な臣民を育む国体思想がふっくら焼き上がった。そのレシピを考案した。
圧倒的に優位な西欧文明に抗して日本をどう発展させ、精神を自立させるか。井上の課題だ。舞台は東大文学部。心理学や宗教学や…の新興学問をさばいていく。悩める煩悶青年にどう対処しよう。異常心理学が専門の福来友吉は、《自己の霊性の自覚》を重視し、催眠術や千里眼を研究した。井上は《先哲や文学の研究により意志を錬磨》せよと説いた。福来は一線を越えた《前近代的な霊媒術》にみえたのだ。結局、福来は東大文学部を解雇されてしまう。
宗教学も交通整理が必要だ。内村鑑三の不敬事件を機に、井上は《キリスト教の反国家性》を主張し、《天壌無窮の神勅を…起源に置》く「国体神道」論を説いた。仏教やキリスト教を教育に持ち込むな。国家神道は「宗教でない」から学校で教えよ。政教分離は骨抜きで学校を宗教機関にした。
仏教・キリスト教・神道の「三教会同」を画す動きもあった。井上は意に介さず「神勅中心主義」を進めた。《官学》の本流だ。
第一次世界大戦は、大衆社会・民主主義の幕開けだった。米騒動など事件も続発した。井上は官民対立を避けるべく、《知識階級に天皇を模範とする貴族精神を持たせ…国民統合を維持したままデモクラシーの実現を図った》。
やがて時代は井上を追い越していく。著書に、三種の神器の《鏡と剣とは疾くに失はれ》と書いたのが不敬だとされ、井上は公職をすべて辞した。暴漢に襲われ負傷もした。一九四四年、敗戦が迫るなか九○歳の生涯を閉じた。
井上哲次郎の国体論はブラックボックス(実在)を抱えていた。国体が何かを明示しないから時代の変化に順応でき、そこそこ強靱だった。人びとの思索は、井上が措いたこの枠を突破するのが困難だった。皇国主義のトリックだ。戦後、井上に匹敵する思想家は存在しない。あえて言えば広告代理店か。そんな想像をめぐらせたくもなる、意欲作の登場である。