書評
『ホモ・サピエンスの宗教史-宗教は人類になにをもたらしたのか』(中央公論新社)
狩猟採集から農耕へ 変わる祭礼
考えてみると当然のことだが、人間だけが神なるものを崇(あが)めている。ヒトが人間になるのに、宗教は決定的な役割を果たしたのではないだろうか。さらに、人類史の大半は狩猟採集民の時代であり、彼らの根底になる心性は現代の人々にも根強く残っているはずである。狩りは運に左右され、脆弱(ぜいじゃく)な人間の集団が獲物を得てたらふく食えることもあれば、不猟がつづき餓死しそうにもなる。そのため、果実、木の実、根茎の採集が不可欠であり、生活の安定と保障はことさら大切であった。だから、これらの集団が集まり祝祭を催して、生存の喜びをわかちあう。そこに、まず宗教の起源がある。
とりわけ大きな獲物をしとめれば、その喜びの共有のために祝祭が実践される。その根底にはアニミズムの世界観があり、その好例がアルタミラの洞窟などの動物壁画であった。この出発点にある儀礼とは、「それぞれの社会において人間が自分自身に対して働きかけ、その知的能力と身体―生理的能力を開発しつつ、共同性の経験を生み出すためにつくり出した技法の総体である」のだ。
前九〇〇〇年ごろに西南アジアで生まれた農業は、ほどなく発展しながら、拡散していった。人口が増加し、定住が進み、やがて大規模な集落ができる。たとえば、トルコ南部のチャタルヒュユク遺跡は常時三五〇〇~八〇〇〇人が暮らしていたという。農耕が始まり、土地への執着が強まると、先祖への感情が生じ、祖先祭祀(さいし)がおこなわれるようになる。
同時に、人生の各段階で通過する儀礼が複雑になり体系化されていくらしい。しかし、もっとも重要なのは、種蒔(ま)き時などの農耕儀礼にほかならない。こうして、神々や精霊に祈願するという慣例が生まれた。狩猟採集民は行為の結果をただちに知れるが、農耕民には、労働の成果が現れるのは数カ月先である。自分たちの行為に確信をもたらすメカニズムが必要とされ、カミがつくられたという。
牧畜民の場合には供犠(くぎ)が圧倒的な比重をしめ、豹皮(ひょうがわ)祭司などの宗教的職能者の役割が大きいという。それは、ときとして神々と人間の世界を結ぶシャーマンのような存在すら登場する場合もあった。
こうしてみると、「アニミズム世界にはカミはいない」が、農耕とともにカミが世界にあふれるようになった。そのカミは、民族生活が安定し、生活文化に厚みが出てくると、擬人化されるという。
狩猟採集民が形づくった祝祭や儀礼の諸要素は、農耕、国家、文明が生まれるにつれ、一部が改変され、削除され、ある方向に発展していく。でも、ほぼすべてが神聖王をいただく祭祀国家であるのだ。ギルガメッシュ叙事詩にも、ピラミッドにも、殷王朝でも、祭政一致の神聖国家が見てとれる。
やがて、旧約聖書の預言者、インドの仏陀(ぶっだ)、ギリシアの哲学者が出現し、哲学者ヤスパースの唱える「枢軸時代」とともに世界宗教が誕生する素地ができあがるのだ。
人間はひとりでは生きられないので、共同生活のために、自己規律を促す宗教改革がくりかえされる。宗教史をふりかえれば、われわれの身体に残る「共同性」の断片に向きあえるという著者の主張には、共感するものがある。
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