書評

『鴨川ランナー』(講談社)

  • 2024/04/10
鴨川ランナー / グレゴリー・ケズナジャット
鴨川ランナー
  • 著者:グレゴリー・ケズナジャット
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(178ページ)
  • 発売日:2021-10-27
  • ISBN-10:4065249953
  • ISBN-13:978-4065249956
内容紹介:
日本という異国に住まいながら、日本人と外国人の間をさまよう人々を巧みな心理描写と独特の文体で描いた短篇2本。「鴨川ランナー」第二回京都文学賞受賞作。選考委員の満場一致で選出された… もっと読む
日本という異国に住まいながら、日本人と外国人の間をさまよう人々を巧みな心理描写と独特の文体で描いた短篇2本。
「鴨川ランナー」第二回京都文学賞受賞作。選考委員の満場一致で選出された。日本から京都に仕事に来た西洋人の日常や周囲の扱い方に対する違和感を、「君」という二人称を用いた独特の文章で内省的に描く。
「異音」・・・福井の英会話教室を突如やめる羽目になった外国人の主人公は同僚の紹介で結婚式の神父役のバイトを始める。

外国語習得と他者性を巡る歪みと屈曲

表題作と「異言(タングズ)」は、どちらも外国語習得と、他者性をめぐる物語である。異質なものとのつきあいと、そこで経験する違和感や疎外感を截(き)りだしている。

「鴨川ランナー」は第二回「京都文学賞」の「海外部門」への応募作だったが、「一般部門」の最優秀賞とのダブル受賞になったという。「留学生をはじめ外国籍を有する方を対象」とするという海外部門は、日本語を母語としない応募者が多いと思われ、米国生まれの英語ネイティブであるケズナジャットもその一人である。

日本語を母語としない者が日本語で創作することは、現在ではそんなに珍しいことではないかもしれない。しかし非母語者を称揚する文学賞というのはごく少なく、ドイツのシャミッソー賞なども想起させた。

「鴨川ランナー」の特徴のひとつは、主語に「きみ」という二人称を用いていることだ。

二人称小説と言っても、読み手を指しているように感じさせるカルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』や、自分を対岸に置いて距離をとりながら書く(高橋源一郎が翻訳した)マキナニーの『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』や、「私」不在の裡(うち)に「あなた」が出現する多和田葉子『容疑者の夜行列車』など色々なタイプがある。「鴨川ランナー」の二人称も独自のスタイルをもつ。

米国で生まれ育った「きみ」が高校の授業で日本語科目を選択したのは、「きみの視線は文面に触れるたびにするっと滑り落ちる。その無頓着さは魅力的でもあり、挑発的でもあった」からだ(傍点筆者)。大学卒業後は、英語ネイティブでさえあれば資格経験不問という京都の中学校の英語教員に採用される。

本作は視線にまつわる物語でもある。米国での恋人はピエール・ロティの『お菊さん』を引きあいに出し、「きみ」のエキゾチシズムやアジア人への支配欲を指摘してくる。「きみ」は英語人として、ある種の「眼差(まなざ)し」をアジア人に持っていることを認めるが、予想外にも日本で待っていたのは、自分を観察してくる日本人の「視線」だった。

日本の社会に深く入っていきたいと願う「きみ」の前に立ちはだかる壁の一つは、習慣の違いなどではなく、なんと英語だ。日本語話者の多くはむしろ英語を話したがり、会話はなべて教科書に載っているような行儀の良い表面的な英会話になってしまう。さらに、英語人は日本語を下手に話した方がうけが良い。この現象がより顕著なのが、福井を舞台にした併録作「異言」である。

英会話教師の「僕」は失職して、女性の元教え子のマンションで半同棲状態になるが、米国への短期留学を経験している彼女は、いくら「僕」が日本語で話しかけても頑なに英語で話す。その英文はすらすらと出てくるが、感情のこもらない朗読のようだ。ふたりは(日本語にすると)こんな感じで会話する。

「それは何ですか?」

「あなたの大学のアルバムです」

彼女は交わりにおいても「完璧な言葉遣いで、絶えずいやらしい英語を喋りつづけ」るので、「僕」は英語の練習台に使われているのかと疑いもする。やがて、「きみ」も「僕」も日本にいる自分は生身の個人ではなく、英語文化の単なる象徴であり、日本人の好むパフォーマンスを求められていることに気づき……。

二人称の「you」は一人称「I」の対岸にあるのだから、二人称で語ることは、そこにいない「我」と他者について問い、自他の関係を考えることでもある。マルティン・ブーバーは著作『我と汝(なんじ)』で、理解の仕方には「われ―それ」と「われ―なんじ」の二種類の型があるとした。前者は、自分の目的を達成するための手段として「それ」を「占有」するが、後者は、「なんじ」に平等な存在として注意を向け、ゆえに「他者」と出会う。

「きみ」も「僕」も「われ―なんじ」の関係を求めて異国に来たが、「われ―それ」の扱いをされたと感じているのだと思う。日英翻訳の仕事を始めた「僕」が、翻訳者とは透明な「変流器」ではなく、「新しい言葉の源そのもの」になる必要があると気づく場面は重要だ。原文の語彙が自分の中に「引っ掛かり、詰まったり」して、その源が濁ってくるというのだ。しかし彼が求めていたのは、すらすらと流れる言葉ではなく、まさに詰まりを起こすような言語体験ではなかったか。

一方、「僕」は子どものころ、友人が洗礼式で「異言」(信仰の恍惚の中で発する意味不明の言葉)を喋ったことを思いだす。それは信仰心の発露か、聖なる力への渇望のなせる業か、それとも要求された「演出」を果たしただけなのか? この「異言」は「僕」と「きみ」の異言語、即ち彼らを「それ」として見る視線の先にある英語であり日本語でもあるだろう。

英語は今のグローバル時代、最強の共通言語であり、さぞ意思疎通に有利だろうと羨まれている。そんな最強ツールを手にした異土(とつくに)の人びとが直面する世界の歪みと屈曲を精緻に描きだした二作である。
鴨川ランナー / グレゴリー・ケズナジャット
鴨川ランナー
  • 著者:グレゴリー・ケズナジャット
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(178ページ)
  • 発売日:2021-10-27
  • ISBN-10:4065249953
  • ISBN-13:978-4065249956
内容紹介:
日本という異国に住まいながら、日本人と外国人の間をさまよう人々を巧みな心理描写と独特の文体で描いた短篇2本。「鴨川ランナー」第二回京都文学賞受賞作。選考委員の満場一致で選出された… もっと読む
日本という異国に住まいながら、日本人と外国人の間をさまよう人々を巧みな心理描写と独特の文体で描いた短篇2本。
「鴨川ランナー」第二回京都文学賞受賞作。選考委員の満場一致で選出された。日本から京都に仕事に来た西洋人の日常や周囲の扱い方に対する違和感を、「君」という二人称を用いた独特の文章で内省的に描く。
「異音」・・・福井の英会話教室を突如やめる羽目になった外国人の主人公は同僚の紹介で結婚式の神父役のバイトを始める。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2021年11月20日

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