書評
『日向で眠れ 豚の戦記』(集英社)
脳の交換
口うるさいヒステリーの悪妻が、精神病院から戻ってくるとすっかり理想的な妻に変わった。調子がよすぎてどこかおかしいのである。もしかすると彼女の脳は、犬の脳か何かととり替えられて「獣の眠り」を眠るうちに、ある手違いで……と夫の主人公に疑心暗鬼がきざしてくる。それを確かめに病院に乗り込むと、彼もまた犬に変身させられて、元の肉体には別人格が宿り、とうに別人となっていた妻と何食わぬふりをして家庭生活を続けてゆく。一方、本来の彼は、いまや犬となって日向でうつらうつらと眠りこけているのだ。題名の『日向で眠れ』がその意味である。もう一つの物語『豚の戦記』では、アルゼンチンのカフェで「昔は若者だった」年金老人たちが、来る日も来る日もカード・ゲームにうつつを抜かしている。そこへ自分たちの息子もふくむ若者世代が、突然、老人絶滅戦争に乗り出し、街頭で、家のなかで、フットボール観覧席で、いたるところで老人たちは追いつめられ、次々に豚のように虐殺されてゆく。ヒトラー・ユーゲントや紅衛兵のような、若者崇拝(ユース・フェティッシュ)の極限が生む倒錯の恐怖とも読め、来るべき老人社会のスウィフト風の未来風景とも読めようか。同じように『日向で眠れ』は、テクノクラート支配によるSF的集団洗脳の恐怖物語とも、あるいはもっと身近に、ピランデッロ風の静かな家族解体劇とも読めよう。
内容的にはそう読めなくはないとしても、この熱い夢魔的なメッセージは、むしろ古風な寓意画の冷たい形式に厳密に枠づけられて述べられる。『豚の戦記』の戦争とは、二手に分かれてカードに興じる老人たちの、勝ち組の若返りと負け組の没落と死のメタファーにほかならず、『日向で眠れ』の臓物を機械的にとり替える奇怪な精神治療は、まず何よりも心身二元論的=デカルト的人間機械論の戯画であり、また単に主人公の生業である古時計修繕のメタファーにすぎないのかもしれない。
そう気がつくうちにも私たちは、内容と形式のどちらか一方に目を奪われるのではなく、素材のなまなましさが整然たる形式美に呑み込まれ、厳格な形式性が通俗小説めいた内容を高度に生かしつつ、内容と形式がわれとわが尾を食う蛇のように無限に循環する、マニエリスム的迷宮に誘い込まれる。とりあえずはそこで、ボルヘスの共著者としても名高い、ビオイ=カサーレスの物語的超絶技巧を楽しめばいいのである。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1983年9月26日
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