乗客は皆孤独、自身の内面を対象化
パリに地下鉄が敷設されたのは一九〇〇年、パリ万博にあわせてのことだった。最初に開通したのは会場を通るポルト=ド=ヴァンセンヌとポルト=マイヨを結ぶ一番線。現在、山手線の内側ほどの範囲に十四の路線が網の目状にひろがっている。本書の原版が刊行されたのは八六年。当然ながら携帯電話もインターネットもなく、まだ自動運転の路線も存在していない。三五年生まれの民族学者マルク・オジェが読み解くのは、人々が自分の眼と身体の記憶を頼りに移動していた頃の、狭いパリ市内の地下世界だが(ただし一部は高架で地上に出る)、都市圏の日常生活の奥深くに分け入っていく思考の眼差しはいまも古びていない。
著者はまず、四〇年に十番線のモベール=ミュチュアリテ駅で、はじめてドイツ兵を見たという個の記憶から語り起こす。世代や育った場所によって立ち会う光景は変わる。近辺で暮らしたことがある同世代の者でなければ、この駅とカルディナル・ルモワヌ駅を「フランス解放の戦いやルクレール機甲師団」に結びつけて語ることはできない。
個人の記憶と歴史は、こんなふうに交錯する。特定の駅名や路線からなる地理学が、「自分のうちなる地質学」とぶつかって「記憶の堆積層に内密な小地震を引き起こす」のだ。このかすかな揺れのなかで突如よみがえった過去の一場が、いまその中に身を置いているメトロの空間と重なる。
この記憶はあくまで「単独的」なものだと著者は言う。どんな駅にも、個人にしか還元できず、他の乗客たちとは共有できない思い出がある。路線図を走る色とりどりの線から浮かび上がるのは、人生の一時期と不可分の、かけがえのない思い出なのだ。しかし同じ車輛にいるあの人にもこの人にも特別な記憶があって、その意味ではごく普通の状況でもあり、ひとつの集合体として単独性を裏切ることになる。
ではどう考えたらいいのか。歴史的な過去が破片となってみなに共有されていることはたしかにある。しかしそれは滅多なことでは集合体にならない。同じ時間帯に同じ路線を使っていても、メトロは「共時的な場」にはならず、「各人が、それぞれの祭りや記念日を自分で祝う」しかないというのである。モースの『贈与論』を援用して、著者はメトロでの旅が個人的なものであると同時に公共の契約に基づき、地下空間が経済で動いている事実を踏まえたうえで、乗客たちは孤独だと述べる。
ただし孤立はしていない。孤独はつねに複数形で存在しており、誰かの孤独が別の誰かの孤独を呑み込んでしまうほど大きくはなりえない。自分以外にいくつも孤独があるのだと意識したとき、ようやく自身の孤独が見えてくる。それがメトロのなかに社会的な状態を形成する。
固い記述もあるけれど、本書は民族学の実践ではなく、自身の内を対象化しつつ掘り下げる「ひとりの民族学者」の肖像である。日常のなかで「突発する聖性」に遭遇したときの心の震えを、知の力で完全に制御しようとはしていない。不意にあらわれたドイツ兵のように、未知の出来事を受け入れるための心の隙が残されている。これはむしろ詩人の仕事だと言うべきだろう。