書評

『「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために』(講談社)

  • 2024/11/19
「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために / 菊谷 和宏
「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために
  • 著者:菊谷 和宏
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(184ページ)
  • 発売日:2024-08-08
  • ISBN-10:4065363624
  • ISBN-13:978-4065363621
内容紹介:
『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬ… もっと読む
『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。
前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬまま円高から円安に移行し、物価高に苦しめられている。それに呼応して、さまざまなレベルで分断や分離が進行しているように見える。そして、著者もこの期間に人生の苦難を経験し、三部作の構想をいかに完結させるか、完結させられるかを考え続けた。
「日本ではフィクションつまり作り話が増殖し、蔓延し、しまいには事実や現実に取って代わってしまった。庶民の実態とはかけ離れた「好況」、「経済成長」、科学的事実を無視あるいは隠蔽した「安全・安心」、違法な証拠隠滅さえ厭わず明らかな嘘を押し通す国政の運営等々。あげくの果てには荒唐無稽な陰謀論の不気味な浸透……」――そんな現状認識から始める著者は、こう断じる。「今日ついに我々は、ばらばらになり、互いに共に生きられなくなっている。強者・弱者、マジョリティ・マイノリティの話だけではない。人が人として、個人が個人として生きられなくなっている。人々は分断され、「互いに同じ人間同士」であると思えなくなっている」。
それが証拠に、コロナ禍で叫ばれた「ソーシャル・ディスタンス」に、この国の人々はいとも容易に適応したではないか。では、「社会」が存在しないとは、「社会」が存在しないところで生きるとは何を意味しているのか。――この根本的な問いに答えるために、著者は「社会」を成り立たせる最も根底にあるものを問うことを決意した。前2著での議論を簡潔に振り返り、その末に到達する結論とは? 誰もが考えるべき問いを静かな感動とともに伝える完結篇にふさわしい名著。

[本書の内容]
序 章 分解する日本社会
第1章 社会の誕生、人間の誕生、社会学の誕生
一 トクヴィル──民主主義と人民
二 デュルケーム──社会学の創造
三 ベルクソン──社会的事実の基底
四 永井荷風──日本「社会」の不在
第2章 社会的生の規範性と社会学の基底
第3章 社会を成す=為す個人──デュルケーム道徳教育論
一 道徳性の第一、第二要素──規律の精神と集団への愛着
二 道徳性の第三要素──意志の自律性
三 意 志──生たる社会
第4章 合意に依らない民主主義
一 トクヴィル民主主義論の基底
二 ベルクソンの民主主義論
三 民主主義の根底
第5章 社会の根底
一 生という事実
二 賭けの網
三 生という絶対所与
四 社会と社会学の現実性=実在性
五 民主社会を生きるということ──平等と自由、意志の自律と多様性
終 章 現代日本を生きるということ

腕っぷしが幅利かせる国際政治

ときどき子供の頃を思い出すと、とくに男児の世界では腕っぷしの強い子が一目おかれていた。歳(とし)を経るにつれて、勉学のできる子、思いやりある優しい子、陽気で面白い子などが人気者になっていた。

ところが、国際関係の問題になると、今日でも腕っぷしの強い国が幅を利かせるという幼児化現象が目立っている。どうしてなのかという素朴な疑問は消えそうもない。

ところで、菊谷和宏氏の『「社会」の底には何があるか』は、もともと日本の「社会」をあつかった「社会三部作」の一冊であるが、たまたま民主主義を論じるなかでフランス近代史に深くふれざるをえなくなった歴史書になっている。

フランス貴族の家系に生まれ、創成期のアメリカを旅して観察し、名著『アメリカのデモクラシー』を出したトクヴィルにとって、民主主義は称揚されるものではなかったという。望むと望まざるとにかかわらず、避けられない進展であり、神の摂理だった。合衆国では諸条件の「平等」こそが根源的な事実であり、個々の事実はそこから生じるにすぎないという。

20世紀初頭以降にパリ大学文学部(ソルボンヌ)で「道徳教育論」を語ったデュルケームにとって、社会的存在であるかぎり、人間は道徳生活ができるのだ。そのような社会的個人すなわち人々が形成する「人間社会」の到達点が民主主義(デモクラシー)にほかならないという。だが、ここで語られている民主主義(デモクラシー)は、通常の制度としての民主主義とは異なり、それを超えてその根底を示唆しているかのようだ。

ところで、トクヴィルの没年に生まれたベルクソンは、ナポレオン三世の第二帝政崩壊後に勢力をもった第三共和制を生きている。この時代は初期にはとくに反宗教性によって特徴づけられる。

ベルクソンはデュルケームと同世代だが、もっと長命だった。第一次世界大戦がおこると、祖国防衛のため国内の対立・抗争を一時棚上げにする挙国一致体制の確立が叫ばれるのだった。この呼びかけに応えて、カトリック勢力(王党派)も聖職者や関係者を前線に派遣して共和制に協力をおしまなかった。

このころから、ベルクソンは、神を彷彿させる生命原理について語るようになり、やがてカトリシズムをとり入れ、さらには第三共和制を本来的に宗教的(カトリシズム的)でありえたものとして理解するに至った。

こうして、共和主義と教権主義、世俗性と神性は、相反するものではなく、むしろ一つのつながりのある連続するものとなった。しかし、社会思想・実証科学のとらえる真理は、キリスト教というよりも「超越性一般」を志向していると言えるだろう。

ところが、民主主義の基礎となる「皆等しく人間」という通念は、日常経験とは「ほとんど合致しない」のだ。このような「神を欠いた」超越性はどのようなものなのか。その近代民主主義では、最大多数の最大幸福が目指されるのではなく、むしろ多様な少数意見が並存しそれらが自由に表明されることが肝要であるのだ。

ここに、今なお腕っぷしの強さを誇示する軍事力や戦争が、国際舞台にあっては幅を利かせる余地が残っているのではないだろうか。国際政治の幼児化現象が消失しない背景には実は近代の民主主義がある、とは言い過ぎだろうか。
「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために / 菊谷 和宏
「社会」の底には何があるか 底の抜けた国で〈私〉を生きるために
  • 著者:菊谷 和宏
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(184ページ)
  • 発売日:2024-08-08
  • ISBN-10:4065363624
  • ISBN-13:978-4065363621
内容紹介:
『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬ… もっと読む
『「社会」の誕生』(2011年)、『「社会」のない国、日本』(2015年)に続く講談社選書メチエ「社会三部作」、完結。
前著以降の約10年、日本は幾度も自然災害をこうむり、実質賃金が上がらぬまま円高から円安に移行し、物価高に苦しめられている。それに呼応して、さまざまなレベルで分断や分離が進行しているように見える。そして、著者もこの期間に人生の苦難を経験し、三部作の構想をいかに完結させるか、完結させられるかを考え続けた。
「日本ではフィクションつまり作り話が増殖し、蔓延し、しまいには事実や現実に取って代わってしまった。庶民の実態とはかけ離れた「好況」、「経済成長」、科学的事実を無視あるいは隠蔽した「安全・安心」、違法な証拠隠滅さえ厭わず明らかな嘘を押し通す国政の運営等々。あげくの果てには荒唐無稽な陰謀論の不気味な浸透……」――そんな現状認識から始める著者は、こう断じる。「今日ついに我々は、ばらばらになり、互いに共に生きられなくなっている。強者・弱者、マジョリティ・マイノリティの話だけではない。人が人として、個人が個人として生きられなくなっている。人々は分断され、「互いに同じ人間同士」であると思えなくなっている」。
それが証拠に、コロナ禍で叫ばれた「ソーシャル・ディスタンス」に、この国の人々はいとも容易に適応したではないか。では、「社会」が存在しないとは、「社会」が存在しないところで生きるとは何を意味しているのか。――この根本的な問いに答えるために、著者は「社会」を成り立たせる最も根底にあるものを問うことを決意した。前2著での議論を簡潔に振り返り、その末に到達する結論とは? 誰もが考えるべき問いを静かな感動とともに伝える完結篇にふさわしい名著。

[本書の内容]
序 章 分解する日本社会
第1章 社会の誕生、人間の誕生、社会学の誕生
一 トクヴィル──民主主義と人民
二 デュルケーム──社会学の創造
三 ベルクソン──社会的事実の基底
四 永井荷風──日本「社会」の不在
第2章 社会的生の規範性と社会学の基底
第3章 社会を成す=為す個人──デュルケーム道徳教育論
一 道徳性の第一、第二要素──規律の精神と集団への愛着
二 道徳性の第三要素──意志の自律性
三 意 志──生たる社会
第4章 合意に依らない民主主義
一 トクヴィル民主主義論の基底
二 ベルクソンの民主主義論
三 民主主義の根底
第5章 社会の根底
一 生という事実
二 賭けの網
三 生という絶対所与
四 社会と社会学の現実性=実在性
五 民主社会を生きるということ──平等と自由、意志の自律と多様性
終 章 現代日本を生きるということ

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2024年10月26日

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