書評
『芸術の発見 AI時代の生きる条件』(フィルムアート社)
不確実な未来、予感を現在に埋め込む
著者であるアーティスト・批評家の岡﨑は2021年に「ストローク(脳梗塞(こうそく))」を発症したが、その後の粘り強いリハビリテーションを経て驚異的な回復を遂げた。25年にはキャリアの集大成とも言うべき個展「而今而後 ジコンジゴ」で多くの新作を発表するなど、ストローク以前にも増して旺盛な創作活動を続けている。その著者が現在没頭しているのがAIとの対話だ。3種類のAIを駆使する著者は、AIに新たな創造の可能性を見ているという。ただしそれは「AIにアートを作らせる」といった意味ではない。最初に挙げられるのは「お好み焼き」をめぐるAIとのやり取りだ。ユーザーが、見かけは同じお好み焼きを食べたが味が違った、なぜか? とAIに尋ねる。AIはそれぞれが大阪焼きと広島焼きだった可能性を示し、調理工程の違いから味の違いを説明しようとする。しかしユーザーは納得しない。単なる工程の違いでは説明がつかない味わいの違い、あれは何なのか。問答を続けるうちにAIは、広島焼きでは素材間から発生する蒸気が「香ばしい空気のスープ」の味わいをもたらすと回答する。
この回答こそは、「広島焼き」のアウラ(固有な質やニュアンス)である。実はユーザーは、最初からこのアウラの存在を予感している。著者はこの、いまだ言語化には届かないなにものかを予感する心的態度を「エートス」と呼ぶ。ユーザーは自身のエートスに導かれてAIの回答につまずきながらも「そうではない」と言い続け、その結果AIは、統計的には現れないアウラを発見させてくれる。これこそがAIを生産的に使いこなすことだと著者は述べる。
著者はマラルメの作品などを引用しつつ、人間が創造する営みについて「時間を超えて持続し、未来の無数の『現在』に対して開かれ続ける構造という夢」ではないかと述べる。それを根底で支えるのが、「まだ起こっていない出来事を、構造の中に埋め込む技」だ。この技を強力にアシストするのがAIの「まだ生成されていない応答を生成する能力」なのだろう。
本書の後半で、著者はAIの五つの公理として、情報の相互関連性、不完全性、推論の暫定性、体系的整合性、応答の必然性を挙げる。そのうえで著者は、精神分析でもなじみ深いオイディプス王の悲劇を取り上げる。オイディプス王は神託から逃れるように彷徨(ほうこう)した結果、父を殺し母と結婚して神託を成就してしまう。彷徨という不確実な過程が、過程が終了した時点で「これが必然だった」と事後的に了解されること。これが悲劇の構造であると著者は指摘する。この一連の流れはさきほどの五つの公理の実現であり、だからオイディプスはAIなのだ、と著者は驚くべき結論に至る。
あとがきには、本書が光栄にも評者の対話に関する著書『イルカと否定神学』への応答でもある、と記されている。答えを求めない対話実践者のエートスが、未来へと向けてアウラを解放し、不確実な対話の過程が必然の流れとして振り返られること。AIの活用が対話実践に多くのヒントをもたらす可能性は、ひとえにこうした不確実性への信頼に懸けられているのかもしれない。
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