書評
『不意の唖――大江健三郎自選短篇』(岩波書店)
天才の仕事
大江氏の傑出した初期短篇群の中でも、私は殊の外、「不意の唖(おし)」が好きだ。一作家として読むと、些か気が滅入ってくるような天才の仕事。
ほとんど一気呵成に書かれたような筆致だが、その結構は、三一致の法則に基いて整然としており、それが、作品の迫力を弥増(いやま)している。
事件は、とある村で、一昼夜の間に、一つの出来事を巡って起きる。
冒頭、「外国兵をのせた一台のジープが夜明けの霧のなかを走ってくる」という一文によって告げられる非日常性の到来は、直ちに「息をつめて」見まもる少年が「息せききって」村へと戻るという行動へと受け渡される。それは、「ふいにジープがむきをかえると村へ入って来た道をひきかえして行った」という日常性の恢復(かいふく)を「女の子供も犬も身うごき一つしないでその遊びをつづけた」という緊迫した静止状態で待機する結末部分と鮮烈に呼応し合っている。
作品の長さに比して、登場人物の数は必ずしも少ないわけではないが、その遠近、濃淡の処理は非常に巧みで、占領軍の数人の外国兵を、村人が取り囲むような配置は、子供たちの心理描写を俟(ま)って、緊張と弛緩とを動的にコントロールしている。
両者の軋むような接点は、卑小な日本人通訳と主人公の英雄的な父親という対照的な二人だが、その人物造形は際立っている。しかも、訪問者と居住者との間に顕在化する矛盾の発端が、移動を可能にする「靴」の喪失であるというのも象徴的である。
「きわめて若い雀斑のある男」が、川べりで灰色の鳥を銃で狙い、結局撃たず、「村の大人も子供も、みんな熱い息をついた」という場面は、一連の緩急の無音の凝縮点であり、同時に銃声によって突発する後の悲劇の伏線でもある。その音の余韻は、以後の沈黙に於いて途切れることがない。
こうした息を呑むような緻密な展開は、前半の太陽の光と後半の夜の闇という大胆な単純化によって、劇的な効果を高められている。
本作を思い返すと、私は、その眩暈(めまい)を覚えるような明るさと、制裁の時の底知れぬ暗さとを、いつも強烈なコントラストとして脳裡に蘇らせる。
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