書評
『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』(光文社)
著者は三島由紀夫の研究家。大江健三郎を避けてきた。最近読み始めその怪物性に驚く。≪本書で私が提示した大江像は、民主主義者、平和主義者として一般に共有されている大江像とは大きく異なる≫のだ。
どこが怪物か。大江は皇国教育を受けた後、フランス文学にかぶれて小説家になった。翻訳文体で見かけは近代的だが、裏に天皇主義者の本性を隠している。三島はそれを見抜き、自決した。大江には宿題が残された。「本当ノ事」を書いて民主主義、平和主義の仮面を被った自分の正体を暴き、自分を罰するのだ。
ならば私小説にならないか。その歯止めに大江は全体小説を目指す。山口昌男流の人類学の図式を借りた神話世界を展開する。三島の端正で鋭利な文体とも、村上春樹の簡素で透明な文体とも違った、誠実で不器用な文体の『水死』は、著者によれば『万延元年のフットボール』と並ぶ傑作だ。本書はついに≪大江の内側から大江を読≫む域に達する。
本書はこうして大江の像を大胆に塗り替え、戦後日本の内実を見つめ直す。作品に新たな生命を与え、文学の可能性を拡げてくれている。まさに批評のお手本のようである。
どこが怪物か。大江は皇国教育を受けた後、フランス文学にかぶれて小説家になった。翻訳文体で見かけは近代的だが、裏に天皇主義者の本性を隠している。三島はそれを見抜き、自決した。大江には宿題が残された。「本当ノ事」を書いて民主主義、平和主義の仮面を被った自分の正体を暴き、自分を罰するのだ。
ならば私小説にならないか。その歯止めに大江は全体小説を目指す。山口昌男流の人類学の図式を借りた神話世界を展開する。三島の端正で鋭利な文体とも、村上春樹の簡素で透明な文体とも違った、誠実で不器用な文体の『水死』は、著者によれば『万延元年のフットボール』と並ぶ傑作だ。本書はついに≪大江の内側から大江を読≫む域に達する。
本書はこうして大江の像を大胆に塗り替え、戦後日本の内実を見つめ直す。作品に新たな生命を与え、文学の可能性を拡げてくれている。まさに批評のお手本のようである。
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