書評

『知覚の現象学』(みすず書房)

  • 2017/08/11
知覚の現象学 1 / モーリス・メルロ=ポンティ
知覚の現象学 1
  • 著者:モーリス・メルロ=ポンティ
  • 翻訳:宮本 忠雄,小木 貞孝,木田 元,竹内 芳郎
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:1967-12-01
  • ISBN-10:4622019337
  • ISBN-13:978-4622019336
内容紹介:
本書はフランス・レジスタンス運動のなかから生まれた知的記念碑の最大のものの一つであり、パリ解放後1945年に公刊、戦後思想の根底に深い影響力を与え、さらに現在及び未来にたいする力強い… もっと読む
本書はフランス・レジスタンス運動のなかから生まれた知的記念碑の最大のものの一つであり、パリ解放後1945年に公刊、戦後思想の根底に深い影響力を与え、さらに現在及び未来にたいする力強い放射力は測りがたいものがある。メルロ=ポンティにとって、生きられ、経験された世界にふさわしい記述は、西欧の二大思想潮流である経験主義でも主知主義でも与えることができなかったものである。経験主義は、著者によれば、哲学における原子として、心理学における行動主義として現われた。主知主義は著者においては、哲学上の観念論、心理学における内省主義であった。

現象学は、世界の神秘と理性の神秘とを開示することを任務とする(グスドルフ)。世界や歴史の意味をその生れ出づる状態において捉えようとする意志において、その注意と驚異において、意識化のきびしい要求において、現象学はまさにバルザック、ヴァレリー、セザンヌの作品と同一のジャンルに属するものであり、同じような不断の辛苦なのであった。実存の両義性にもとづく生きられた緊張の世界は、著者の極度に繊細で、柔軟な記述によって、はじめて我々に身近かなものとなったのである。全2冊。
二十世紀というのは〈身体〉の時代であった、と言えるかもしれない。いつの時代にも、身体はわたしたちがそれであるところのものとして、病や死への不安とともに、あるいは欲望や美醜の意識とともに、生のもっとも厚い関心の的でありつづけてきた。が、身体が思想の地平で、あるいは表現という次元で、突出して問題化してきたのは、やはり二十世紀を措いてほかにはないだろう。

映像の世界、ファッションの世界、スポーツの世界で、性表現のみならず肉体の存在それじたいが一気に浮上してきた。人体の生理学的分析は、医療の世界のみならずボディ・ポリティックスの次元でも身体をますます透視していった。ある種の表現者たちは薬物を服用しながら、知覚の媒体としての身体を変容させることで、意識のバリアを超えてさらに深く世界にかかわろうとした。からだで音楽を聴く経験、あるいはダンスや舞踏、アクション・ペインティングなど身体表現そのものを媒介としたアートが進化した。そして世界戦争という、身体にくわえられた無差別的暴力……。そして現在は、「健康なからだ」「気持ちいいからだ」といった強迫的イメージが、社会の表層を覆っているようにみえる。

一九六〇年代の後半という時期、これら身体の局地戦はたがいに刺激しあいつつ、ある大きなムーヴメントを描きだしつつあった、あらゆる表現分野で「革命」が起こりつつあった。それまでまるでいかがわしいものについて語るかのように語られてきた身体が、思想の主題として一気に浮上してきたのである。そのきっかけのひとつとなったのが、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』だった。邦訳(ただし上巻のみ)が出版されたのは六七年、原著は第二次世界大戦の終結した年、一九四五年の刊行である。

身体がまぎれもない物体のひとつであるという、自明ともいえる前提をぐらぐら揺さぶったこの書物を、以後、文字で、あるいは形象で、あるいは身体そのもので表現される多くの身体論がその出撃地としたのだった。運動としての身体、記憶としての身体、あるいは表現としての、習慣としての、幻影としての、シンボルとしての、空間としての身体、そして無記名の実存としての身体……。これらの身体概念は、知らぬまにわたしたちの視線に深くとりついていた、身体を単一の物体(つまり単体の実体)とみなす思考法がどれほど虚構的なものであるかを、とことんあばきだした。

序文はつぎのような言葉で結ばれている。

現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦であるおなじ種類の注意と驚異をもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出ずる状態において捉えようとするおなじ意志によって、こうした関係のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである。

まさにこの言葉を地でゆく身体論を、ひとはここに発見した。

【新版】
知覚の現象学 〈改装版〉  / モーリス メルロ=ポンティ
知覚の現象学 〈改装版〉
  • 著者:モーリス メルロ=ポンティ
  • 翻訳:中島 盛夫
  • 出版社:法政大学出版局
  • 装丁:単行本(881ページ)
  • 発売日:2015-12-17
  • ISBN-10:4588140256
  • ISBN-13:978-4588140259
内容紹介:
心理学・精神分析学の諸成果をもとに主知主義・経験主義を内在的に批判し、身体=知覚野において具体的・人間的主体の回復をめざす。

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【この書評が収録されている書籍】
「哲学」と「てつがく」のあいだ / 鷲田 清一
「哲学」と「てつがく」のあいだ
  • 著者:鷲田 清一
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(284ページ)
  • 発売日:2001-10-26
  • ISBN-13:978-4622048121

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知覚の現象学 1 / モーリス・メルロ=ポンティ
知覚の現象学 1
  • 著者:モーリス・メルロ=ポンティ
  • 翻訳:宮本 忠雄,小木 貞孝,木田 元,竹内 芳郎
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:1967-12-01
  • ISBN-10:4622019337
  • ISBN-13:978-4622019336
内容紹介:
本書はフランス・レジスタンス運動のなかから生まれた知的記念碑の最大のものの一つであり、パリ解放後1945年に公刊、戦後思想の根底に深い影響力を与え、さらに現在及び未来にたいする力強い… もっと読む
本書はフランス・レジスタンス運動のなかから生まれた知的記念碑の最大のものの一つであり、パリ解放後1945年に公刊、戦後思想の根底に深い影響力を与え、さらに現在及び未来にたいする力強い放射力は測りがたいものがある。メルロ=ポンティにとって、生きられ、経験された世界にふさわしい記述は、西欧の二大思想潮流である経験主義でも主知主義でも与えることができなかったものである。経験主義は、著者によれば、哲学における原子として、心理学における行動主義として現われた。主知主義は著者においては、哲学上の観念論、心理学における内省主義であった。

現象学は、世界の神秘と理性の神秘とを開示することを任務とする(グスドルフ)。世界や歴史の意味をその生れ出づる状態において捉えようとする意志において、その注意と驚異において、意識化のきびしい要求において、現象学はまさにバルザック、ヴァレリー、セザンヌの作品と同一のジャンルに属するものであり、同じような不断の辛苦なのであった。実存の両義性にもとづく生きられた緊張の世界は、著者の極度に繊細で、柔軟な記述によって、はじめて我々に身近かなものとなったのである。全2冊。

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初出メディア

東京新聞

東京新聞 1997年4月6日

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