書評

『曠野の妻』(講談社)

  • 2017/10/06
曠野の妻 / 三浦 哲郎
曠野の妻
  • 著者:三浦 哲郎
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(357ページ)
  • ISBN-10:4062636441
  • ISBN-13:978-4062636445
内容紹介:
看護帰を勤める北国の病院に運び込まれてきた患者はかつての恋人だった。激しい愛の果てに自分を裏切って去っていった男との20年ぶりの再会。冷えた家庭を抱え、生と死に対峙して働く緊張のなかに突然現れた男の姿は過去の愛憎を超え、心を大きく揺らす。行き場を喪っていた感情が燃えあがる。恋愛長編小説。
主人公〝樹里〟は中年の、職務に忠実な、東京を遠く離れた病院の看護婦である。家にはその地方の中小企業に勤める夫と一人娘の、まだ小学生の美那がいる。病院には古参の彼女を取り囲む心の暖かい、しかし同じように仕事と女としての人生との問題に直面して懸命に生きている仲間や後輩達がいる。そして何よりも彼女を頼りにしている患者が数多くいる。病院勤務の時間割、交替の順番の組み立て、患者との人間的接触と看護婦としての役割の時には矛盾し、時には悲しみに彩られる職場の実情は揺るぎないリアリティで描かれる。何故なら、その職場の動きこそ主人公の心のリズムであり、喜びを与えてくれる生き甲斐でもあるのだから。しかし、そのために〝樹里〟は何かを犠牲にしなければならない。

読んでいくにつれ、読者は彼女が何も失わずにその職務をテキパキと果たしていけることを祈りたいような気持にさせられる。それは人間の感情の起伏と変化に対する信頼感が作者にあって、その信頼感ゆえに登場人物への感情移入が快いリズムを正確に紡いでゆくからである。

それは当然のことかもしれないけれども、作者のなかには登場人物を決して信用せず、自らのリズムに従属させることによって劇的構成を完成させる場合もある。この際、そのリズムが人間存在の矛盾やリアリティを反映したものであれば、それも読者を感動させるのである。

こうした一般論に照らしてみると、三浦哲郎は心の暖かい作者に属する。

例えば、ある日病院に、かつて彼女を裏切った男が患者として入院してくる。フリーのカメラマンの彼は仕事中に吐血して救急車で運びこまれたのだ。樹里は看護婦として当然巡回しなければならないのに、その男の病室に入ることがなかなか出来ない。彼は、樹里の親友を騙して妊娠させ、それが原因で彼女は自殺してしまったのである。そんなことがあったのだから、当然樹里は彼に平静ではない、憎しみに近い感情を抱いていた。看護婦という立場を利用すれば相手に復讐することだって可能なのだ、と思う。しかし東京でカメラマンとして〝楽しい生活〟を送ってきた彼にとって患者という弱い立場を利用し、誇張して樹里の気持をふたたび自分に近づけるのは訳のないことであった。樹里の心は動揺する。

また、夫に女がいることを知ったあとで、樹里が家に帰るのを「なにかしらこわい」と思う場面がある。長い間住みなれた自分の家なのに彼女は「なるべく家に着くのを遅らせようとして車をゆっくり走らせ」たりする。彼女は長年仕事を通じて自分を客観化して眺める知を身につけてしまっている。夫と同じように、自らを振り返る能力を持たず、ただ損得で動ける人間だった方がどれくらい生きやすかったかもしれないのに。

〝楽しい都会の生活〟を送ってきた男には、それにふさわしい〝楽しく〟生きようとしている女が現われて、病院の迷惑などはお構いなしに振る舞う。ここには今日の大都市に巣喰う〝自己主張〟を持った市民の一典型が描かれ、また、地方対大都市という構図を読みとることも可能である。また地方に侵入してきた都市現象が、人々の心を蝕む状況を摘出することも可能である。樹里の夫にできた女はこの地方のデパートの化粧品売場に出ていて夜はスナックで働いている、テレビのドラマに出てきそうな女性である。

東京で働いているクリエーターの女の地方版、と言ってもいい。しかし、一人娘の美那は、夫婦が別れる時、父親の方につくのである。小学生の美那は、父親の若い愛人が好きだと無邪気に言明して憚らない。面白おかしく暮らせそうな彼女と較べて、本当の母親の樹里と一緒に暮らすのは「寂しいから」厭だと言う。

お母さんのおうちはここではなくて、病院だと思うの。ここへは、眠ったり食べたりしに帰ってくるだけ。

という美那の淀みない説明は主人公を打ちのめす。

三浦哲郎は〝曠野の妻〟を描いたのだ。

少しの思い入れも大袈裟な身振りもない筆の運びは、より一層哀切に健気な主人公の姿を描き出す。同じような、「曠野の夫」もいるかもしれない。「曠野の若者」もいるだろう。現代は何故、曠野になってしまったのか。あるいは人は、いつの時代も曠野を旅しなければならないのであろうか。作者はそう問いかけている。

【この書評が収録されている書籍】
辻井喬書評集 かたわらには、いつも本 / 辻井喬
辻井喬書評集 かたわらには、いつも本
  • 著者:辻井喬
  • 出版社:勉誠出版
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2009-07-21
  • ISBN-10:4585055010
  • ISBN-13:978-4585055013
内容紹介:
作家・辻井喬の読んだ国内外あらゆるジャンルの書籍を紹介する充実のブックガイド。練達の読み手がさそう至福の読書案内。

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曠野の妻 / 三浦 哲郎
曠野の妻
  • 著者:三浦 哲郎
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(357ページ)
  • ISBN-10:4062636441
  • ISBN-13:978-4062636445
内容紹介:
看護帰を勤める北国の病院に運び込まれてきた患者はかつての恋人だった。激しい愛の果てに自分を裏切って去っていった男との20年ぶりの再会。冷えた家庭を抱え、生と死に対峙して働く緊張のなかに突然現れた男の姿は過去の愛憎を超え、心を大きく揺らす。行き場を喪っていた感情が燃えあがる。恋愛長編小説。

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初出メディア

中央公論

中央公論 1993年3月

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。

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