書評
『祖父 東郷茂徳の生涯』(文藝春秋)
「寡黙な平民外相」の苦悩と挫折
身内の者が、高い公職にあって一定の歴史的評価をうけた肉親について、伝記を書くのはなかなか難しい。なぜなら、身内は常に他人の客観的議論に違和感を覚えるものだし、逆に他人はまた身内の感覚や印象を共有しえないからである。そこに満を持して現れたのが、日米戦争の開戦時と終戦時とに外相を務めた東郷茂徳の伝記である。茂徳の女婿がやはり外務次官を務めた東郷文彦、そして双子の孫のうち弟が外務省に勤める和彦という外交官一家の中で、ワシントン・ポスト勤務のジャーナリストたる兄の手によって本書は書かれた。客観的な分析と報道とを使命とする著者が、昭和の戦争と外交の最も劇的な瞬間に立ち会った祖父の軌跡を追うことになったのは、まことに自然であったと言ってよい。
著者は、祖父の生涯を公的私的両側面から過不足なくできる限り客観的に素描しようと試みている。とりわけ印象深いのは、東郷の寡黙な性格形成の原因として、鹿児島という風土の中における、平民出身という階級的差別と朝鮮系という民族的差別のいわば二重の差別をあげていることだ。またそのことと、若き日にドイツ文学に志し、東西文明の融合を夢見たこととが相まって、東郷に早くから外国人エディとの結婚を促したとする推測も興味深い。したがって東郷が終生広田弘毅と深い関わりをもった理由も、平民出身で門閥をもたなかったという共通点に求められることになる。
さらに随所で触れられている終生のライバル重光葵(まもる)との対比論も面白い。重光の政治性が策士的ならば、東郷のそれは論理的だと言うのである。以上にあげた私的生涯の展開のユニークさと比べるならば、公的生涯の記述は資料に忠実で客観的たりすぎたのが、惜しまれる。もっともそれは、著者が「身内の伝記」にあまりにも禁欲的になりすぎたせいであろう。ある意味で、祖父東郷を彷彿とさせる著者のダンディズムゆえかもしれない。
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