書評
『昨日のように遠い日―少女少年小説選』(文藝春秋)
失ったからこそ出合える影と闇
持っているときは気にもかけなかったのに、なくしてしまったら急にだいじになるもの、さてなんでしょう。なぞなぞの答えはこうだ。
「少年少女の時間」
おとなになってはじめてわかる。あのころの時間は二度と手に入れることができない。永遠の喪失感を得てはじめて、「少年少女の時間」にはくっきりとあざやかな輪郭が与えられる。
失った者だけがふたたび出合うことのできる、かつて掌中にしていた記憶のよろこび。それがこの本の贈りものである。
収録された八人の作家のひとり、スティーヴン・ミルハウザーはかつて、いつまでも穴を落ちつづけるアリスの物語「アリスは、落ちながら」のなかにこんな一行を紛れこませた。
そもそもお話とは、内なる影、闇への飛びこみと考えてよいのではあるまいか?
「少女少年小説選」と銘打たれたこの一冊は、読むにつれ、あのころの恐れ、恥じらい、おののき、忘れてしまいたかった記憶がいっしょに息を吹き返しはじめる。現れるのは自分のこころのなかの影、または闇。
いっぽう、少女のころ図書館の椅子(いす)に座って夢中で読み耽(ふけ)った『飛ぶ教室』『秘密の花園』『十五少年漂流記』……冒険や愛や友情の物語は、明るさや励ましや興奮に充(み)ちていた。
十五編の流れは、編者ならではのこまやかな目くばりによって、巧みな連なりをみせる。
冒頭に編まれたバリー・ユアグロー「大洋」で、わたしはいきなりはるかな世界へ漕(こ)ぎ出すことになってしまった。からだごとざあっとさらわれ、背中を押されて波間を進む。第三編のヴィヴァンテ「灯台」でさらにもっと先へ、第九編のミルハウザー「猫と鼠(ねずみ)」で緻密(ちみつ)な想像力の世界に封じこめられ、おしまいのデ・ラ・メア「謎」を読み終えて本を閉じたとき、そうか、さっきまで漕いできた波間とはやはり自分のこころの闇だったとうなずいたのだった。
ふと背後を振りむくと、「昨日のように遠い日」は、闇も影もともづれに、やわらかな陽光を浴びながらすぐそこにあった。
朝日新聞 2009年04月05日
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