書評
『日本初の海外観光旅行―九六日間世界一周』(春風社)
明治の元祖パッケージツアー
最近のパッケージツアーの大ヒット商品は弾丸ツアー。0泊4日でサッカー観戦、週末パリ三十三時間滞在……目的完遂のち即刻引き返すせわしなさ。その対極が気長な船旅だが、元祖世界一周パッケージツアーの船旅はなんと明治期だ。岩倉使節団の世界一周外交の旅は明治四年。そして四十一年、民間人五十六名の一団が横浜から太平洋を渡った。わたしはといえば、路地裏や市場を気ままにうろつく旅ばかりしてきたけれど、明治時代のパッケージツアーなら話はべつ。淡々とした記述にかえって想像力を刺激され、ページをめくってみた。
旅費二三四〇円は現在なら一一七〇万円相当。それだけに参加者は銀行家や繊維、貴金属、株取引など各界の人物が集まり、花形新聞記者二名のすがたもあった。じつは主催は朝日新聞社。前代未聞の旅の中身を逐一打電して紙面で披露し、読者サービスと派手な宣伝効果を狙おうという一大企画なのだった。
ハワイ経由でアメリカ大陸を横断しイギリス、フランス、イタリア、スイス、ドイツ、ロシアを歴訪、シベリア鉄道を経てウラジオストクへ。アテンドは英旅行会社トーマス・クックの添乗員一名、市内観光は現地の馬車か自動車。すでにパッケージツアーの原形をなしている。
サンフランシスコでは公園で過ごす美風に感動し、ウォール街やティファニーに圧倒され、ロンドンでショッピング、イタリア料理が口に合うと興奮する。旅装こそモーニングや着物だが、反応ぶりは今とたいして違わない。記者、杉村楚人冠の筆も思わず感傷に走る。「毎年冬は羅馬(ローマ)で過(すご)し、春夏は倫敦(ロンドン)で暮(くら)して、秋は東京に送って、而(しこう)して最後はベニスで死にたい」
戦争の歴史のはざまで、ぽっかり実を結んだ世界一周。帰国先の敦賀港では花火と六千人の大歓声が出迎えた。遥(はる)か百年まえの観光の回顧は、なぜだろう、空想と追体験をみょうにノスタルジックにふくらませる。まるで時刻表だけで明治へ架空の旅をするかのよう。行かないからこそ自由に遊覧できる、それもまた旅の魔力。
朝日新聞 2009年05月31日
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