後書き

『シェイクスピア・カーニヴァル』(平凡社)

  • 2017/10/08
シェイクスピア・カーニヴァル / ヤン・コット
シェイクスピア・カーニヴァル
  • 著者:ヤン・コット
  • 翻訳:高山 宏
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • ISBN-10:4582316123
  • ISBN-13:978-4582316124
内容紹介:
豊饒なるバフチーン、終末を生きるヘルメース学。『シェイクスピアはわれらの同時代人』のヤン・コットが、を自家薬篭中のものとして再びシェイクスピアに挑む。待望の書。

ルネッサンスの「賢者(メイガス)」たちは彼の同時代人?

ヤン・コット(一九一四- ※事務局注:二〇〇一没)の最新刊The Bottom Translation: Marlowe and Shakespeare and the Carnival Tradition(translated by Daniela Miedzyrzecka and Lillian Valee)(Northwestern University Press; Evanston, Illinois, 1987)を全訳した。見事と自分でも思う流麗の訳文を心ゆくまで楽しまれよ。

原題『ボトム変容』はこの本第二章の章名をそのまま使ったものだが、邦訳としては、むしろ原書副題を活かして『シェイクスピア・カーニヴァル』とした方が分かりやすいと考えて、そのようにした。ミハイル・バフチーンの、今では知らぬ人のないカーニヴァル論を通過してのち、さてあのコットのシェイクスピア研究がどういう体裁になるか……というのが本書最大の眼目でもあるわけだし、この邦題でいくことには全然不都合はないと判断した。

ヤン・コットの偉大な本、『シェイクスピアはわれらの同時代人』(一九六一。英訳一九六四。邦訳白水杜、一九六八)がシェイクスピア研究に新次元を切りひらいたことを疑う人はいないだろう。ピーター・ブルック演出の『リア王』や『真夏の夜の夢』は、シェイクスピアを不条理演劇やシュルレアリスムの「同時代人」として見たコットのこの本にインスパイアされたものだったが、今世紀演劇史の転換点だったと見る人が少なくない。かつてブランデスがイプセンを挑発したように、いまヤン・コットがピーター・ブルックを、というわけである。

ポーランドに一九一四年に生まれ、一九六九年に渡米するまでポーランドにいた知識人、という大雑把な手掛りだけでも、コットという人を通り抜けていった政治とイデオロギーの苛烈な時間というものが透けて見えてくるだろう。第一次世界大戦勃発の年に生を享(う)けたポーランド人、あとナチの抬頭と地下運動、スターリニズムとハンガリー動乱、ポーランド共産党への参加と「プラハの春」にいたる民衆抑圧の歴史……と、これはまた途方もなく危うい季節に生きていたのだということが容易に推察される。そして自伝『ヤン・コット 私の物語』(一九九〇)に明らかなように、現にコットは反ナチ地下運動の闘士であり、スターリニズムによる粛清の犠牲者であった(*)。だから彼の史劇論、王権論には独特な辛辣味とイロニーとがある、「神と言えば、シェイクスピア劇には神などはいない。いるのは王たちだけで、その一人一人が死刑執行人であり、また逆に犠牲者でもある」という、歴史を非情な「巨大な階段」「巨大なメカニズム」としか見ない『シェイクスピアはわれらの同時代人』の史劇論の異様な迫力は、そういう背景から出てきた。本書の『嵐』論、ジョン・ウェブスター論などもその延長線上にある。

パノフスキーの図像解釈学にしろ、ラヴジョイのヒストリー・オヴ・アイディアズにしろ、新しい学知の方向が出てきたのがほぼ一九二〇年代から、というのがなかなか面白い気がする、「神などはいない」ことがはっきりしてきた時点で、空位化した神の席に人間を置く新たな批評的方法の繚乱たる開花の季節がめぐってきたという、皮肉な状況でもあるのだろうか。とにかく解釈と記述の新しい方法に対する渇望にも似た動きが出てきた。また「神などはいない」ことが分かったことで正統神学、正統哲学に抑圧されてきたヘルメース的諸学の隠された(オカルトな)伝統に新たな関心が起こってきたということも、一方の動きとしてあった。一九三〇年代後半から出発するフランセス・イエイツ女史のルネッサンス・ヘルメース学発掘の作業がその典型であろう。こうした方法と趣味の動向に、ヤン・コットはぴったりと沿っている。特に『シェイクスピアはわれらの同時代人』第二部「喜劇」論は、ルネッサンスのヘルメース学に精通し、いまフロイト精神分析の手法に拠るかと思えば、図像学的分析に沈潜することもでき、現代不条理演劇の展開についてもパイオニア的洞察を示すかと思えば、同じ主題をルネッサンス・マニエリスム美術の中にさぐっていくといった自在無碍(むげ)な記述法で、『真夏の夜の夢』の「醜悪のエロス」の正体、『十二夜』にひそむ「不調和の調和」「相反物の一致」のヘルメース的構造、『嵐』におけるルネッサンス的賢者(メイガス)たちの幻滅をあぶり出すといった、知的方法論の百花斉放を特徴とする一九六〇年代末の時点にあってさえ新鮮かつ意表をつく議論を、そのページごとに繰り展げた。

(次ページに続く)
シェイクスピア・カーニヴァル / ヤン・コット
シェイクスピア・カーニヴァル
  • 著者:ヤン・コット
  • 翻訳:高山 宏
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • ISBN-10:4582316123
  • ISBN-13:978-4582316124
内容紹介:
豊饒なるバフチーン、終末を生きるヘルメース学。『シェイクスピアはわれらの同時代人』のヤン・コットが、を自家薬篭中のものとして再びシェイクスピアに挑む。待望の書。

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