書評

『ひとひらの舟―樋口一葉の生涯』(人文書院)

  • 2017/11/12
ひとひらの舟―樋口一葉の生涯 / 三枝 和子
ひとひらの舟―樋口一葉の生涯
  • 著者:三枝 和子
  • 出版社:人文書院
  • 装丁:ハードカバー(189ページ)
  • ISBN-10:4409160567
  • ISBN-13:978-4409160565
文学少女をしていた高校生のころ、文庫本で『たけくらべ』を読んでいた。と、友人の文学少年がのぞきこんで、ちょっといじわるな目をして言う。

「樋口一葉って、お金が欲しくて小説を書いたんだぜ」

ショックだった。作家というものは、小説のために生活がぼろぼろになることはあっても、生活のために小説を書くなんてことは、あってはならない、と文学少女としては考えていたのである。お金のために、だなんて、とても不純なことに思えた。

樋口一葉が、若くして一家を支えなければならない身となり、終生貧乏に苦しんだことは、よく知られている。そのことと、文学を志す気持ちとは、どう絡みあっていたのか。

純粋に書きたい、という思いと、お金が欲しい、という思いと。その二つは、心のなかでどう落としまえをつけられていたのか。そんな疑問が、ずっとあった。

が、本書を読むと、その疑問じたいが、とても不備なものであったことがわかる。

貧乏しながら一生懸命書きました、とか、貧乏だったので一生懸命書きました、とか、貧乏だったけど一生懸命書きました、とかいう関連づけは、まことに表面的なことでしかない。

著者はそこへ、両者にまたがる一つの新しい視点を持ちこんだ。

「私は、一葉の文学の成立に欠かすことのできない一つの要素として、彼女があの明治の時代に家督を継いだ女性であることを挙げたい。」という。家督を継いだことは、結果として彼女に貧困をもたらした。が、同時に、自立した自由な精神をももたらしたのである。

この「自立」に著者は注目する。

本書は、小説でもなく評論でもなく伝記というスタイルで書かれている。「戸主一葉」という視点を、もっともシンプルに貫くために、とられた形なのだろう。ここに出てくるのは、年譜や評伝などですでに知られている生い立ちであり、事件である。にもかかわらず、いちいち「なるほど」と思ってしまう。ライトの当てかた次第で、見えてくるものがあるのだ。

半井桃水への、慕わしい気持ちからやがて見限ってゆくまでの心の変化。多くの文学青年たちと、熱い文学論を交わす日々。男と女が、恋愛ではなく文学でつながっている。明治という時代に、これは希有のことだっただろう。「戸主一葉」であったればこそ、のことである。

【この書評が収録されている書籍】
本をよむ日曜日 / 俵 万智
本をよむ日曜日
  • 著者:俵 万智
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(205ページ)
  • 発売日:1995-03-01
  • ISBN-10:4309009719
  • ISBN-13:978-4309009711
内容紹介:
大好きな本だけを選んで、読んだ人が本屋さんへ行きたくなるような書評を書きたい-朝日新聞日曜日の書評欄のほか、古典文学からとっておきのお気に入り本まで、バラエティ豊かに紹介する、俵万智版・読書のススメ。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ひとひらの舟―樋口一葉の生涯 / 三枝 和子
ひとひらの舟―樋口一葉の生涯
  • 著者:三枝 和子
  • 出版社:人文書院
  • 装丁:ハードカバー(189ページ)
  • ISBN-10:4409160567
  • ISBN-13:978-4409160565

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

朝日新聞

朝日新聞

朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
俵 万智の書評/解説/選評
ページトップへ