思い切った言語感覚が旧知の物語を新鮮に
百年以上前から多くの作家や翻訳家が挑んできた『不思議の国のアリス』。長いあいだ読み継がれてきたお話ですから、いまさらあらすじを説明するまでもないでしょう。とはいえ、翻訳する側から見ますと、これほど難しい作品もありません。まずは文体を「です・ます調」にするか、「のだ・である調」にするのかで考え込んでしまいます。それが解決できても、さらなる難題が山積みです。ルイス・キャロルは言葉遊びの達人で、随所にはさまれた洒落(しやれ)や修辞やナンセンスな文章を自然な日本語にするのが、至難の業だからです。簡単なように見える単語でも、一筋縄ではいきません。
物語の冒頭、アリスがうさぎを追いかけて深い穴の中に入っていく印象的な場面があります。アリスがどこまでも落ちていく様子を、英語ではシンプルに「Down, down, down.」と表現しています。その訳としては、「どん、どん、落ちる」(生野幸吉)、「下へ、下へ、もっと下へ」(柳瀬尚紀)などが一般的ですが、本書の高山訳ではなんと、この副詞に「びゅんびゅんびゅうん」とスピード感のある擬態語をあてているのです。
これには驚きました。目から鱗(うろこ)がぱらぱらと落ちました。確かにルイス・キャロルを訳すにはこのような発想の転換や飛躍、思い切りのよさが不可欠なのかもしれません。もちろん、難しい言葉遊びの訳にも新しい驚きがあります。
しかも本書には絵がたくさん入っています。佐々木マキが描く現代的なアリスが愛らしく魅力的です。「尾話」はちゃんとねずみの尻尾の延長になっていますし、トランプやチェシャー・キャットやグリフォンの絵も愉快で軽快です。
高山と佐々木のコンビによる不思議に満ちたアリスの世界をぜひとも覗(のぞ)いてみてください。