選評
『愛の渦』(白水社)
岸田國士戯曲賞(第50回)
受賞作=佃典彦「ぬけがら」、三浦大輔「愛の渦」/他の候補作=岩崎正裕「音楽劇 JAPANESE IDIOT」、長塚圭史「LAST SHOW ラストショウ」、東憲司「風来坊雷神屋敷」、前田司郎「キャベツの類」、本谷有希子「乱暴と待機」/他の選考委員=岩松了、鴻上尚史、坂手洋二、永井愛、野田秀樹、宮沢章夫/主催=白水社/発表=二〇〇六年二月趣向の勝利
劇作家が第一に心がけなければならぬのは、この、人間最古の表現形式である演劇に対して、愛と志があるかどうかを自問すること、そして同時に何か飛び切りの趣向を発明することである……と、評者は堅く信じている。愛と志は、作家それぞれに固有のものだから、ここでは問わないし、また問うこともできない。けれども趣向は別だ。趣向という言葉はいかにも軽そうに見える。評者にしても、かつて「芝居は趣向」と発言したために、ずいぶん損をした。そんな軽いことを口にする作家の作物などろくでもない、つまらないものにちがいないと、極めつけてくる人がまだまだ多いからだ。そこで、趣向をきちんと説明しながら、今回の受賞作二編をうんと誉めることにしよう。趣向とは意匠のことだ。俳諧でいえば句の構想、歌舞伎でいえば構想上の工夫、そして現在のわたしたちが心血を注いでいる戯曲でいえば、〈主題と渾然一体となって全編にみなぎり渡る舞台の上の知恵ある仕掛け。そのことによって観客に新しい体験をさせる手〉ということになる。それを欠くものは、もはや戯曲ではない。
『ぬけがら』(佃典彦)についていえば、父親が父親から抜け出し脱皮して、しまいには六人になり、しかも脱皮するたびにその父親たちが若くなって行き、そのことによって戦後史を語るという知恵ある仕掛けが、この作品の趣向ということになる。つまり父親たちの戦後史の記憶(歴史)が、いま深刻な不安に慄いている息子を立ち直らせるという趣向である。その六人の父親たちの語る戦後史が、それぞれありきたりであることや、したがって息子の立ち直りの瞬間がご都合主義に陥っていることなど、欠点もないではないが、しかし趣向そのものは常に全編に燦然と輝いている。これは一つの偉業ではないか。
『愛の渦』(三浦大輔)についていえば、二十世紀世界演劇の一方の主流をなしていた極端なリアリズム(ふつう、くそリアリズムと呼ばれる)で最先端の性風俗を活写したらどうなるかというのが、その趣向である。およそ小説や戯曲の値打ちは、自分と他人の関係をどれだけ深い機知をもって描けたかで決まるが、この作品はその「人間にとっての人間関係」をくそリアリズムに徹して精緻に描き切った。徹底したことによって、そのくそリアリズムを乗り越えて―通俗的なストーリーをもっと盛り込んでもらいたかったという微かな不満はあるけれども―とにかく現代人のいじらしいまでに矮小な自我を、人間に対する普遍的な愛にまで高めた。これまたすばらしい力業である。
今回の候補作はいずれも佳編、しかし右の二作は、その趣向の深さと高さにおいて他を抜いていた。
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